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「あの時こうしていれば…」知財トラブル・失敗事例集(商標編)

作成者: 弁理士 杉浦健文|2026/01/15

商標は、企業のブランド価値を守る「盾」であると同時に、市場での競争優位を築く「武器」でもあります。しかし、その重要性を理解していても、実際の運用では思わぬ落とし穴にはまってしまうケースが後を絶ちません。本稿では、商標にまつわる典型的な失敗パターンを事例形式で紹介し、同じ過ちを繰り返さないための教訓を探ります。

事例1:「先に使っていたのに…」先願主義の壁

 

何が起きたか

個人経営のカフェ「モーニングベル」は、地元で10年以上愛されてきた老舗でした。オーナーのAさんは、商標登録など考えたこともなく、「うちの店名はうちのもの」という素朴な認識で営業を続けていました。

ところがある日、大手カフェチェーンB社から一通の内容証明郵便が届きます。B社は「ABCD XYZ」の商標を登録しており、Aさんのカフェに対して店名の使用中止を求めてきたのです。Aさんは「こちらの方が先に使っていた」と主張しましたが、B社は「先に商標登録を取得したのは当社だ」と譲りません。

何が問題だったのか

日本の商標法は「先願主義」を採用しています。これは、同一または類似の商標について複数の出願があった場合、先に出願した者に登録を認めるという原則です。つまり、いくら長年使用してきた実績があっても、他者に先に商標登録を取られてしまえば、原則として権利主張ができなくなるのです。

Aさんには「先使用権」という抗弁の余地がありました。これは、他人の商標登録出願前から不正競争の目的でなく使用しており、その結果として需要者の間に広く認識されている場合に、継続して使用できる権利です。しかし、この「周知性」の立証は容易ではありません。地元では有名でも、B社の営業地域における周知性を証明できなければ、先使用権は認められない可能性があります。

教訓

「使っているから権利がある」という考えは危険です。ブランド名・店名・サービス名を使い始めたら、できるだけ早期に商標出願を行うべきです。特に事業が軌道に乗り始めた段階や、店舗展開・フランチャイズ化を検討し始めた段階では、商標登録は必須と考えてください。登録費用を惜しんだ結果、後から莫大なリブランディング費用やライセンス料を支払うことになれば、本末転倒です。

事例2:区分選択の見落としで権利に穴

何が起きたか

アパレルブランドC社は、自社ブランド「NEXTERA」の商標を第25類(被服)で登録していました。ブランドは順調に成長し、やがてバッグや財布などの革製品にも展開することになりました。

数年後、C社が革製品市場に本格参入しようとしたところ、すでに別の企業D社が「EFGOP」を第18類(かばん類・袋物・革製品)で商標登録していたことが判明しました。D社はC社の存在を知った上で、意図的にこの区分で出願していたのです。C社は自社ブランド名で革製品を販売できず、D社との交渉を余儀なくされました。

何が問題だったのか

商標登録は、指定した商品・役務の区分ごとに効力が及びます。C社は被服については保護を得ていましたが、革製品(第18類)については手当てをしていなかったため、そこに権利の空白地帯が生じていました。この隙を突かれた形です。

日本の商標区分は45区分あり、自社の現在の事業範囲だけでなく、将来の事業展開可能性まで見据えて区分を選択する必要があります。

教訓

商標出願時には、現在の事業内容だけでなく、中長期的な事業計画も踏まえて指定商品・役務を検討すべきです。特にブランドの多角化が見込まれる場合は、関連する区分を幅広く押さえておくことが、将来のトラブル防止につながります。費用との兼ね合いはありますが、主力ブランドについては「守りの投資」として複数区分での登録を検討する価値があります。また、定期的に自社商標のポートフォリオを見直し、事業の変化に応じて追加出願を行うことも重要です。

事例3:海外での「商標スクワッティング」被害

何が起きたか

化粧品メーカーE社は、日本国内で人気のスキンケアブランドを展開していました。SNSでの口コミを通じてアジア各国でも認知度が高まり、越境ECでの売上も伸びていました。いよいよ現地法人を設立して本格的に中国市場に参入しようとしたとき、問題が発覚しました。

E社のブランド名と同一の商標が、すでに中国で第三者によって登録されていたのです。この第三者(いわゆる「商標ブローカー」)は、E社のブランドが中国で人気を博していることを知り、先回りして商標を押さえていました。E社は、自社ブランド名を使って中国で事業を行うために、高額な買い取り交渉を迫られることになりました。

何が問題だったのか

これは「商標スクワッティング(商標の不正先取り)」と呼ばれる問題です。中国をはじめとする各国でも先願主義が採用されており、日本で有名なブランドであっても、現地で先に出願されてしまえば権利取得は困難になります。

中国には「悪意の出願」を無効にする制度もありますが、立証のハードルは高く、訴訟には時間とコストがかかります。E社は結局、無効審判を請求しつつも、並行して当該商標の買い取り交渉を進めざるを得ませんでした。

教訓

海外展開を少しでも視野に入れているブランドについては、「売れてから」ではなく「売れる前に」現地での商標出願を済ませておくべきです。特に中国、東南アジア、中東などでは商標スクワッティングが横行しており、日本で話題になったブランドは狙われやすい傾向があります。越境ECを始めた時点、あるいはSNSで海外からの反応が増え始めた時点で、主要市場での商標確保を検討すべきです。マドリッド協定議定書(国際商標登録制度)を活用すれば、一つの出願で複数国への保護を効率的に求めることができます。

事例4:「普通名称化」でブランド価値が溶解

何が起きたか

日用品メーカーF社は、画期的な機能を持つ掃除用具を開発し、「クリーンマジック」という商品名で大ヒットを記録しました。商標登録も取得し、万全の体制と思われていました。

ところが、製品があまりにも普及したため、消費者や小売店は類似の掃除用具を総称して「クリーンマジック」と呼ぶようになりました。競合他社も「うちのクリーンマジック」「クリーンマジックタイプ」などと表現するようになり、F社が抗議しても「これは一般名称として使っているだけ」と反論されてしまう状況になりました。

何が問題だったのか

商標が、特定の出所を示す識別標識としての機能を失い、商品やサービスの一般名称(普通名称)として認識されるようになることを「普通名称化」または「ジェネリサイド」と呼びます。エスカレーター、セロテープ、ウォシュレットなど、かつては特定企業の商標だったものが普通名称化した(または普通名称化しかけた)例は数多くあります。

普通名称化が進むと、商標権者であっても他者の使用を止められなくなる可能性があります。最悪の場合、商標登録自体が取り消されることもあります。

教訓

商標は「育てる」だけでなく「守る」努力も必要です。具体的には、商標を使用する際に「®」マークを付す、「○○は△△社の登録商標です」と明記する、商標と一般名称を併記する(例:「クリーンマジック掃除用具」)などの施策が有効です。また、メディアや小売店が商標を一般名称として使用している場合には、丁寧に訂正を求めるレターを送るなど、地道な啓発活動を継続することが重要です。商標は、権利者自身が「これは固有のブランド名である」という姿勢を示し続けなければ、その価値が希薄化してしまうのです。

事例5:不使用取消審判で足元をすくわれる

何が起きたか

食品メーカーG社は、将来の新製品に備えて「フレッシュガーデン」という商標を第29類(加工食品)と第30類(調味料・菓子)で登録していました。しかし、経営方針の変更により新製品の発売は見送られ、この商標は5年以上使用されないまま放置されていました。

その後、G社は改めて「フレッシュガーデン」ブランドで商品を発売しようとしたところ、すでに競合H社が同名の商品を販売していることが判明しました。G社が商標権侵害を主張したところ、H社は「不使用取消審判」を請求。G社は過去3年間の使用実績を証明できず、商標登録は取り消されてしまいました。

何が問題だったのか

日本の商標法では、継続して3年以上日本国内で正当な理由なく登録商標を使用していない場合、何人も不使用取消審判を請求することができます。この制度は、使われていない商標によって他者の商標選択の自由が不当に制限されることを防ぐためのものです。

G社は「将来使うつもりだった」と主張しましたが、「使う予定がある」ことと「実際に使っている」ことは別問題です。使用の証拠(商品パッケージ、広告、カタログ、取引書類など)がなければ、審判では勝てません。

教訓

商標は「取ったら終わり」ではありません。登録を維持するためには、継続的な使用が必要です。将来の事業のために商標を確保しておくこと自体は問題ありませんが、その場合でも、少量でもよいので実際に商品を販売する、サンプル品を配布する、ウェブサイトで商品紹介を行うなど、使用実績を残しておくことが重要です。また、自社の商標ポートフォリオを定期的に棚卸しし、事業計画との整合性を確認する習慣をつけましょう。使う見込みがない商標は、維持費用との兼ね合いで放棄を検討することも選択肢です。

事例6:ライセンス契約の不備が招いた混乱

何が起きたか

アウトドア用品ブランドI社は、国内での販売を代理店J社に任せ、J社に商標のライセンスを付与していました。契約書には使用許諾の条項はありましたが、品質管理や使用方法に関する規定は簡素なものでした。

J社は当初は忠実にブランドガイドラインに従っていましたが、売上拡大のプレッシャーから次第に低品質な商品にもI社のブランドを付けて販売するようになりました。消費者からのクレームが増え、SNSでは「I社の製品は品質が落ちた」という評判が広がりました。I社がJ社に是正を求めても、J社は「契約書には具体的な品質基準が書いていない」と反論し、対応は遅々として進みませんでした。

何が問題だったのか

商標ライセンス契約において、ライセンサー(権利者)がライセンシー(使用許諾を受けた者)の商品・サービスの品質を管理することは、商標の本質的機能である「品質保証機能」を維持するために不可欠です。この品質管理が不十分な場合、いわゆる「裸のライセンス(naked license)」となり、消費者の信頼を損ない、最悪の場合は商標権の希薄化(dilution)を招く可能性があります。

I社のケースでは、契約書に品質基準、検査権、違反時の是正措置、契約解除条項などが明確に定められていなかったため、問題が起きてからの対応が難しくなりました。

教訓

商標ライセンス契約を締結する際には、使用許諾の範囲だけでなく、品質管理条項を詳細に定めることが重要です。具体的には、製品の品質基準や仕様の明記、ライセンサーによる検査・監査権の確保、ブランドガイドラインの遵守義務、違反時の是正手続きと契約解除条項、報告義務などを盛り込むべきです。また、契約締結後も定期的にライセンシーの活動をモニタリングし、問題があれば早期に対処することが、ブランド価値を守るために不可欠です。

事例7:更新手続の失念で権利消滅

何が起きたか

創業50年の老舗和菓子店K社は、屋号と主力商品の商標を数十年前に登録していました。長年同じ商標を使い続けてきたK社にとって、それはあまりに当たり前の存在であり、日常業務の中で商標のことを意識することはほとんどありませんでした。

ある日、新規出店を計画していたK社は、商標の有効性を確認しようとして愕然とします。商標登録が数年前に存続期間満了により消滅していたのです。更新手続きを失念していました。さらに悪いことに、消滅後の空白期間中に、同一の商標を第三者が出願・登録していたことが判明しました。

何が問題だったのか

商標権の存続期間は登録日から10年間であり、10年ごとに更新手続きが必要です。更新は存続期間満了前6カ月から満了日までの間に行わなければなりません。満了後も6カ月以内であれば割増料金で更新可能ですが、その期間も過ぎてしまうと権利は消滅します。

K社は小規模な家族経営であり、知財管理の担当者も専門家との顧問契約もありませんでした。登録時の担当者が退職した後、更新期限を把握している者がいなくなり、そのまま期限徒過となってしまったのです。

教訓

商標権の管理において、更新期限の管理は最も基本的かつ重要な業務です。期限管理のためには、商標登録原簿の写しを保管し、更新期限を一覧化したリストを作成しておくことをお勧めします。また、複数の担当者で情報を共有する体制を整え、担当者の異動・退職時には確実に引き継ぎを行うことが重要です。特許事務所や弁理士と顧問契約を結び、期限管理を委託することも有効な選択肢です。近年は、更新期限の通知サービスを提供する事務所やオンラインサービスも増えていますので、自社の規模やリソースに応じた管理方法を検討してください。

まとめ:商標戦略を成功させるための心得

これらの事例から導かれる教訓を総括すると、商標管理には「攻め」と「守り」の両面が必要だということがわかります。

「攻め」の観点では、事業を開始する前、あるいは少なくとも初期段階で商標出願を行うこと、将来の事業展開を見据えた区分選択を行うこと、そして海外展開を視野に入れた早期の国際出願戦略を立てることが重要です。商標は「後からでも取れる」という考えは危険であり、先願主義の下では先手を打つことが何より大切です。

「守り」の観点では、登録後の継続的な使用と使用証拠の保全、普通名称化を防ぐためのブランド管理、更新期限の確実な管理、そしてライセンシーに対する品質管理が求められます。商標は取得しただけでは価値を発揮せず、適切に管理・活用してこそ事業を守る盾となります。

また、これらすべてに共通するのは、「専門家との連携」の重要性です。商標法は技術的な側面も多く、また国ごとに制度が異なります。自社だけで完璧な管理を行うことは難しく、弁理士や知財専門家のサポートを受けることで、多くのトラブルを未然に防ぐことができます。

ブランドは企業の無形資産の中でも最も価値の高いものの一つです。その価値を守り、育てていくために、商標戦略は経営戦略の重要な一部として位置づけていただきたいと思います。

ご質問や、特定の論点についてより詳しく知りたい場合はお気軽にお申し付けください。実際のケースに近いシナリオでの検討や、予防策の具体的なアドバイスなども可能です。