「素晴らしいネーミングを思いついたから、商標登録して独占したい!」
そう意気込んで特許庁に出願したものの、「識別力がない」という理由で拒絶されてしまうケースは、実は商標登録の失敗事例の中で最も多いものの一つです。
「ただの名前なのに、なぜ登録できないの?」
「他社と被っていなければいいんじゃないの?」
そう思うかもしれません。しかし、商標登録を目指す際、絶対に避けて通れないキーワードが「識別力(しきべつりょく)」です。この概念を深く理解していないと、出願費用や時間を無駄にするだけでなく、「売れるブランド」を作ることさえ難しくなってしまいます。
この記事では、商標登録の最重要要件である「識別力」について、その本質的な意味から、識別力がないと判断される具体的なケース、そして識別力がない言葉を商標登録するための対策まで、徹底的に解説します。
まず、この「識別力」という言葉、法律用語としては少し難しく聞こえますが、商標の「心臓部」とも言える非常に重要な概念です。ここを少し時間をかけて、丁寧に紐解いていきましょう。
商標法における「識別力(Distinctiveness)」とは、一言で言えば「自社の商品・サービスと、他社の商品・サービスを区別する力」のことです。
専門用語では「自他商品識別力(じたしょうひんしきべつりょく)」とも呼ばれます。
想像してみてください。あなたがスーパーマーケットの飲料売り場にいます。そこには、ラベルに何も書かれていない、ただ黒い液体が入ったペットボトルがずらりと並んでいます。
あなたは、どれが「コカ・コーラ」で、どれが「ペプシ」で、どれが「無名のコーラ」か見分けがつきますか? おそらく不可能です。
この時、パッケージに書かれた「Coca-Cola」というロゴ文字こそが、「これはコカ・コーラ社の製品ですよ(他社のコーラではありませんよ)」と教えてくれる識別標識なのです。
つまり、識別力とは**「これは誰の商品なのか?」という問いに対する答え(指名買い)を導き出す機能そのもの**と言えます。
では、なぜ特許庁は「識別力がない商標」の登録を拒絶するのでしょうか?
これには、大きく分けて2つの理由があります。
例えば、「美味しい」という言葉を商標登録したパン屋さんがあったとします。
消費者が看板を見て「美味しいパン」と書かれていたとしても、それが「『美味しい』というブランド名のパン屋」なのか、単に「味が美味しいパン」という説明なのか、区別がつきません。
商標の本質は「誰の商品か」を明らかにすることなのに、その役割を果たせない言葉を登録しても意味がないのです。
これが最も重要な理由です。商標権というのは、特定の言葉を「独占」できる強力な権利です。登録すれば、他社はその言葉を使えなくなります。
もし、ある八百屋さんが「リンゴ」という文字を商標登録して独占してしまったらどうなるでしょうか?
他の八百屋さんは、店頭で「リンゴ」という言葉を使えなくなり、「赤くて丸い果実」などと言い換えなければならなくなります。これでは商売になりません。
商標法は、「業界のみんなが使うべき一般的な言葉」や「商品の内容を説明するために必要な言葉」を、特定の誰か一人が独占するべきではないという考えに基づいています。
産業の発達を阻害しないために、識別力がない(=みんなが使うべき)言葉には、あえて独占権を与えないようにしているのです。
ビジネス的な視点で見ると、識別力は「ブランド価値」そのものです。
商標には、以下の3つの機能があると言われています。
出所表示機能: 「誰が作ったか」を示す。
品質保証機能: 「あのマークなら品質が良いはずだ」と期待させる。
宣伝広告機能: マークを見ただけで商品を連想させる。
これら全ての機能は、「他社と明確に区別できている(=識別力がある)」ことが大前提です。
「高品質なパソコン」という名前のパソコンを売っても、誰もそれをブランドとして認識しません。「MacBook」や「VAIO」のように、他と明確に違う名前(識別力のある名前)だからこそ、そこにファンがつき、ブランドとしての価値が積み上がっていくのです。
つまり、識別力を理解することは、「強いブランドを作るための第一歩」なのです。
概念を理解したところで、次は実務的な話です。
特許庁の審査基準(商標法第3条第1項)において、「識別力がない」として拒絶される主なパターンを見ていきましょう。ご自身のネーミングがこれらに当てはまっていないか、チェックしてみてください。
その商品やサービスの業界で、一般的に使われている名称そのものです。
例: 指定商品「パソコン」に対して、「パソコン」という商標。
解説: そのままの名称は、誰のものであるか区別がつかないため登録できません。当然、英語にしただけ(「PC」や「Personal Computer」)でもNGです。
元々は他と区別するための商標だったものが、同業者に広く使われた結果、一般的になってしまった言葉です。
例: 指定商品「清酒」に対して、「正宗(まさむね)」という商標。
例: 宿泊施設の「観光ホテル」など。
解説: 多くのメーカーが使いすぎて、特定のブランドとしての力が失われた言葉です。
これが最も拒絶理由になりやすいパターンです。商品の品質、原材料、産地、効能、用途、形状などを単に説明しただけの言葉は登録できません。
産地・販売地: 「東京」「日本橋」「北海道」など。
品質・内容: 「おいしい」「激辛」「極上」「フレッシュ」など。
原材料: 指定商品「被服」に対して「ウール」、パンに対して「小麦」など。
効能・用途: 化粧品に対して「美白」、洗剤に対して「よく落ちる」など。
これらは、消費者が商品を選ぶ際に必要な「説明書き」に過ぎず、ブランド名(誰の商品か)としては機能しないと判断されます。
電話帳に多数掲載されているような、日本でよくある苗字や名称です。
例: 「佐藤」「田中」「スズキ」「ワタナベ」「ショップタナカ」など。
解説: 「佐藤」だけでは、「どこの佐藤さん」の商品か分からないため、識別力がないとされます。ただし、「〇〇佐藤」のように他の言葉と組み合わせたり、特殊なデザイン化をすれば登録できる可能性があります。
単純な記号や文字、図形などです。
例: 「A」「1」「〇(円形)」「▲(三角形)」、ローマ字1文字や2文字(「AB」など)。
解説: これらも誰もが使う基本的な記号であるため、独占は認められません。
上記には当てはまらないものの、社会通念上、識別力がないとされるものです。
例: 地模様(商品の背景柄)、キャッチフレーズ(「Everyday Low Price」のようなスローガン的な文章)、元号(「令和」など)。
「自分が考えたネーミングが、まさに『記述的商標』に当てはまっていた……」
「特許庁から拒絶理由通知が届いてしまった……」
そんな場合でも、諦めるのはまだ早いです。識別力がない言葉でも、工夫次第で商標登録できる可能性があります。ここでは主要な3つの対策を紹介します。
文字自体に識別力がなくても、特徴的なロゴマーク(図形)やデザインされた文字と組み合わせることで、全体として「識別力がある」と認められるケースがあります。
方法: 単なるゴシック体や明朝体ではなく、独自のロゴデザインを作成して出願する。
注意点: この場合、権利範囲は「そのロゴデザイン」に限定されることが多く、第三者が同じ文字を「標準文字(普通のフォント)」で使った場合、権利行使できない(商標権侵害と言えない)可能性があります。あくまで「ロゴとしての保護」になる点を理解しておきましょう。
識別力のない言葉(例:「東京」)に、識別力のあるユニークな言葉(造語など)をくっつけて、一つの長い商標にします。
例: 「東京」だけではNGだが、「東京」+「ゼブラ(造語的要素)」=「東京ゼブラ」ならOK。
メリット: 比較的簡単に識別力を獲得できます。
注意点: この場合も、権利は「東京ゼブラ」全体に及びますが、「東京」単独の使用を他社に禁止させることはできません。
これは「ウルトラC」級の難易度ですが、「長年使い続けた結果、有名になったから登録を認めてもらう」という方法です。
本来は識別力がない言葉(記述的商標など)であっても、長期間にわたり独占的に使用し、大規模な広告宣伝を行った結果、「この名前といえば、あの会社の商品だ」と全国の消費者が認知するレベルになれば、例外的に登録が認められます。
適用されるハードル: 極めて高いです。全国的な知名度を証明するために、売上高証明書、広告宣伝費の領収書、新聞雑誌の記事、アンケート調査結果など、膨大な証拠資料を提出する必要があります。
よくある誤解: 「これから有名にする予定」では認められません。「すでにもう有名であること」が必要です。
ここで一つ、非常に重要なポイントがあります。
ある言葉に識別力があるかどうかは、絶対的なものではなく、「何の商品・サービスに使うか」との関係で相対的に決まります。
どういうことでしょうか? 具体例で見てみましょう。
指定商品が「果物」の場合:
「アップル」はリンゴそのものを指す普通名称であり、識別力はありません(登録不可)。リンゴを売るのに「リンゴ」を独占されたら困るからです。
指定商品が「パソコン」の場合:
パソコンとリンゴは何の関係もありません。パソコンの品質や形状を説明する言葉でもありません。したがって、パソコン分野において「Apple」は単なる造語と同じ扱いになり、強い識別力を持ちます(登録可)。
「宅急便」はヤマトホールディングスの登録商標です。しかし、一般会話では宅配便全体を指す言葉として使われがちです。もし今、誰かが「宅急便」を出願しようとしても、普通名称化(または他人の著名商標)として拒絶されますが、当時は識別力があると認められました。
このように、「その業界において、その言葉がどう認識されているか」が判断の分かれ目となります。
識別力での拒絶を避け、かつブランドとして強い権利を持ちたいなら、以下の方向性でネーミングを考えることをおすすめします。
全く新しい言葉を作るのが、商標的には最強です。
例: 「SONY」「Kodak」「Haagen-Dazs」
意味を持たない言葉なので、品質誤認や記述的商標の問題が発生せず、登録の可能性が非常に高くなります。また、消費者にとっても「そのブランドだけの特別な言葉」として記憶に残りやすくなります。
商品の内容を直接的に説明するのではなく、「なんとなくイメージさせる」程度の言葉を選びます。
例: 「熱さまシート」(冷却シート)。直接的に「冷却ジェル」と言うのではなく、効果をイメージさせる。
ポイント: 「説明(記述)」と「暗示」の境界線は非常に曖昧で、審査官によって判断が分かれることもあります。しかし、ここを攻めることがマーケティング的にも(分かりやすさの点で)有利になることが多いです。
既存の言葉を、全く無関係な商品に付ける方法です。先ほどの「Apple(パソコン)」や「CAMEL(タバコ)」などがこれにあたります。意外性があり、強い識別力を持ちます。
商標登録において、「識別力」は最初の、そして最大の関門です。
識別力とは「他社商品と区別するための目印」であり、ブランドの源泉。
「みんなの共有財産」である言葉(説明、品質表示、ありふれた名前)は独占させない。
識別力がない言葉でも、ロゴ化や造語との組み合わせで登録できる可能性がある。
最強の対策は、最初から「造語」や「全く関係のない言葉」でネーミングすること。
「この名前なら絶対にいける!」と思っても、プロの目から見れば「記述的商標」としてNGが出るケースは多々あります。逆転の発想で、識別力がない言葉をあえて使い、ロゴ化して登録する戦略もありますが、その場合は権利範囲が狭くなるリスクも理解しておく必要があります。
出願してから「拒絶理由通知」を受け取って慌てる前に、まずはネーミングの段階で「この言葉に識別力はあるか? 誰かの言葉を奪っていないか?」と自問自答してみてください。
そして、少しでも不安がある場合は、出願前に弁理士などの専門家に「識別力の有無」を含めた事前調査を依頼することを強くおすすめします。それが、あなたの大切なブランドを守るための最短ルートです。
この記事で「識別力」の奥深さと重要性はご理解いただけたかと思います。しかし、実際の審査は「ケースバイケース」の連続です。
「識別力の理屈はわかった。でも、私のこのネーミングはどうなの?」
「J-PlatPatで調べてみたけど、判断がつかない…」
そう思われた方は、次のアクションとして、AIやご自身で判断せず、専門家への「無料相談」などを活用してみることをお勧めします。