「複数のAIエージェントを協調させて複雑なタスクを解く」――いま最も注目されるマルチエージェントAIの領域で、Salesforce社が出願した米国特許出願が公開されました(US2025/0265443 A1、2025年8月21日公開、全20クレーム)。本記事では、実際のクレーム(権利請求の範囲)を原文で引用しながら、その技術内容と権利化の構造を、AI知財に精通した弁理士が徹底的に読み解きます。
さらに、本件を題材に「AIエージェント発明のクレーム・明細書をどう書けばよいか」という実務の勘所まで踏み込みます。「自社のAIエージェントを特許にしたいが、どこをどう書けばよいのか分からない」という開発者・知財担当者の方にとって、実在の優れた出願は最良の教科書です。
目次
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 公開番号 | US 2025/0265443 A1 |
| 出願番号 | 18/738,984 |
| 発明の名称 | Systems and methods for building task-oriented hierarchical agent architectures |
| 公開日 | 2025年8月21日 |
| 出願日 | 2024年6月10日 |
| 優先日 | 2024年2月19日 |
| 出願人 | Salesforce Inc. |
| 発明者 | Zhiwei Liu ほか14名 |
| クレーム数 | 20(独立3:クレーム1・11・20) |
| 主な分類(CPC) | G06N3/00, 3/02, 3/04, 3/045(ニューラルネットワーク) |
| ステータス | 出願公開(審査係属中) |
要約書によれば、本発明は「タスクを実行するための複数のニューラルネットワークモデルの階層構造を構築する方法」です。中核となる処理フローは次のとおりです。
| 階層 | 役割(明細書の記載に基づく) |
|---|---|
| マネージャー・エージェント | 各個別エージェントと通信し、エージェント間のタスク割当を管理 |
| サブマネージャー・エージェント | 割り当てられたタスクをさらに分解する中間層 |
| 個別エージェント | 特定の機能に最適化された実行担当 |
エージェント同士は「タスクパッケージ」をAPI経由でやり取りします。パッケージには相手エージェントに適合したプロンプトが含まれ、行動(action)を生成させます。各エージェントの最適化は、(1) LLM自体のファインチューニング、(2) プロンプトの最適化、の2手法が記載されています。
| 応用例 | 内容 |
|---|---|
| オンライン・ペインター | 検索エージェントとペインター・エージェントが連携し、視覚的特徴をオンライン検索してから画像生成 |
| 対話的な画像理解 | 画像に基づく人間の質問に複数ラウンドの対話で回答 |
| 数学問題の解答 | 数学エージェントがWolframAlpha連携で「75×34+12=」等を解く |
| チェス対局 | チェス・エージェントが盤面を認識し合法手を実行して人間と対局 |
特許で実際に保護されるのは、要約や図面ではなく「特許請求の範囲(クレーム)」です。ここでは本件の最も重要な独立クレーム1(方法クレーム)を原文で引用します。
Claim 1(原文/英語)
A method for building a hierarchical structure of a plurality of neural network models for performing a task, the method comprising: receiving, via a data interface, a task instruction; generating, by a first neural network model, a first sub-task from the task instruction; selecting a second neural network model from the plurality of the neural network models based on the first sub-task; building a first connection, via a first application programming interface (API), between the first neural network model and the second neural network model; generating, by the first neural network model, a first sub-task package in a format compliant with the second neural network model; receiving, via the first connection, a first output from the second neural network model that executes the first sub-task package; generating, by the first neural network model, a second sub-task based on the task instruction and the first output; and causing the task instruction to be jointly performed by one or more selected neural network models from the plurality of neural network models based at least in part on the second sub-task.
弁理士による参考訳(日本語)
このクレームの巧みさは、「複数AIを協調させる」という抽象的アイデアを、8つの具体的な処理ステップに分解している点にあります。特に権利化(特許適格性・進歩性)の観点で効いているのが次の限定です。
| 限定 | 技術的な意味 | なぜ重要か |
|---|---|---|
| ④ API接続の構築 | モデル間の連携を抽象的な「協調」ではなく具体的な通信接続として規定 | 「単なるアイデア」からの脱却。技術的実装の明示 |
| ⑤ 適合フォーマットのパッケージ生成 | 相手モデルが解釈できる形式へ変換 | エージェント連携の技術的核心。進歩性の主張点 |
| ③ サブタスクに基づく動的選択 | 静的な固定構成ではなく、内容に応じた選択 | オーケストレーションの知能の所在 |
| ⑦ 出力に基づく次タスク生成 | フィードバックループを構成 | 自律性=エージェントらしさの根拠 |
💡 要点:「a format compliant with the second neural network model(第2モデルに適合するフォーマット)」という限定が、本クレームの技術的ハイライトです。これは単なる情報の受け渡しではなく、異なるモデル間の相互運用を可能にする技術的工夫であり、抽象的アイデアの拒絶(米Alice/日2条・3(k)相当)を回避する強力な手がかりになります。
本件は全20クレームのうち、独立クレームを3つの異なるカテゴリで立てています。これはソフトウェア特許の定石です。
| クレーム | カテゴリ | 保護対象 | 想定される侵害主体 |
|---|---|---|---|
| クレーム1 | 方法(method) | 処理手順 | その方法を実施する者 |
| クレーム11 | システム(system) | メモリ+プロセッサを備える装置 | 装置を製造・販売・使用する者 |
| クレーム20 | 非一時的機械可読媒体 | プログラムを記録した記録媒体 | プログラムを配布・提供する者 |
クレーム11(システム)は、クレーム1と同一の処理を「memory(メモリ)」「one or more hardware processors(1以上のハードウェアプロセッサ)」という物理的構成要素とともに記載しています。
Claim 11(抜粋)(原文/英語)
A system ... comprising: a memory that stores the plurality of neural network models and a plurality of processor executable instructions; a communication interface that receives a task instruction; and one or more hardware processors that read and execute the plurality of processor-executable instructions from the memory to perform operations comprising: ... (以下、クレーム1と同一の処理)
💡 要点:日本の審査基準では「情報処理がハードウェア資源を用いて具体的に実現されているか」が問われます。クレーム11がmemory・hardware processorを明示するのは、まさにこの要件を満たすための定石です。同じ発明を日本に出願する場合も、システムクレームでハードウェア資源との協働を明確にすることが有効です。
独立クレームが万一、先行技術で無効とされても、従属クレームが生き残れば権利は維持されます。従属クレームは「防御の重層化」として機能します。本件の従属クレームから、巧みな限定の付け方を学べます。
Claim 3(原文/英語)
The method of claim 1, wherein the first sub-task package comprises a first prompt compliant with the second neural network model, instructing the second neural network model to perform the first sub-task.
クレーム3は、パッケージの中身を「適合プロンプト」と具体化しています。「フォーマット」という上位概念(クレーム1)に対し、「プロンプト」という下位概念で限定することで、権利範囲に段階的な広狭を持たせています。
Claim 5(原文/英語)
The method of claim 1, further comprising: receiving ... a human instruction; and generating, by the first neural network model, the first sub-task based on the task instruction and the human instruction.
クレーム5は「人間の指示(human instruction)」を処理に組み込む変形(human-in-the-loop)を押さえています。実装バリエーションを従属クレームで網羅することで、競合の設計変更による回避を防ぎます。
Claim 10(原文/英語)
The method of claim 1, wherein the first neural network and the second neural network are each independently trained.
クレーム10は「各モデルが独立に学習される」点を限定。異種モデルの組み合わせという実態を権利化に取り込んでいます。
💡 要点:従属クレームの定石は、①上位概念→下位概念の段階的限定(クレーム3)、②実装バリエーションの網羅(クレーム5の人間介在、クレーム6〜9の多段委譲)、③構成の特性の特定(クレーム10の独立学習)です。独立クレームを広く、従属クレームで具体的な実施形態を厚く押さえる――この「広狭の階層」が強い特許網を作ります。
本件を踏まえ、自社のAIエージェント発明をクレーム化する際の考え方の型を示します。以下は理解のための一般的な参考例(本特許のクレームではありません)です。
📝 クレーム作成 参考例(本特許のクレームではありません)
📝 クレーム作成 参考例(本特許のクレームではありません)
クレーム設計のチェックリスト:① 抽象的な目的(〜を自動化する)ではなく、処理ステップで書く/② エージェント間のインターフェース(フォーマット・API・プロトコル)を技術的フックにする/③ 動的な選択・制御ロジックを明示する/④ 方法・システム・媒体の3カテゴリで立てる/⑤ 従属クレームで実装バリエーションを網羅する。
強いクレームは、それを支える明細書があって初めて成立します。AIエージェント発明の明細書で特に重要な要素を、本件の構成と対応づけて示します。
| 要素 | 書くべき内容 | 本件での実践 |
|---|---|---|
| 技術的課題 | 単一エージェント/LLMでは複雑タスクを解けない等、技術的な課題を明確に | 「single LLM agentは多様な専門アクションを要する複雑タスクに苦戦する」と明記 |
| 解決手段 | 課題を解決する具体的な構成・処理フロー | 階層分解+動的選択+適合フォーマット+API連携 |
| 実施例(重要) | 複数・多様な実施例で実施可能要件・サポート要件を担保 | ペインター・画像理解・数学・チェスの4例 |
| 用語の定義 | 「タスクパッケージ」「適合フォーマット」等の機能的概念を定義し具体化 | パッケージ=適合プロンプトを含む 等 |
| 変形例 | 人間介在・多段委譲・独立学習などのバリエーション | 従属クレームに対応する変形を明細書で裏付け |
実施可能要件・サポート要件に注意:AIの処理は「ブラックボックス」になりがちです。「AIに入れれば良い結果が出る」という抽象的記載では、日本でも米国でも拒絶されます。どんな入力で・どんな条件分岐で・どのモデルを選び・どんなフォーマットに変換するのかを、当業者が再現できる程度に具体的に記述することが不可欠です。本件が実施例を4つも厚く記載しているのは、この要件を満たすためです。
💡 要点:明細書作成の鉄則は「広いクレームを支える広い開示」です。クレームで上位概念(フォーマット、モデル選択)を使うなら、明細書にはその具体例(プロンプト形式、選択アルゴリズム)を複数記載し、中間概念のfall-backポジションを仕込んでおきます。これにより、審査で限定を求められても、新規事項追加とならずにクレームを減縮できます。
米国では「抽象的アイデアに向けられているか、向けられている場合に発明的概念があるか」が問われます。本件は、ニューラルネットワークモデル群・API接続・適合フォーマットのパッケージといった技術的実装を伴う具体的フローとして記載され、「技術的課題に対する技術的解決」を主張しやすい構成です。2024年7月のUSPTO・AI審査ガイダンス(事例47〜49)の考え方にも沿います。
日本では「情報処理がハードウェア資源を用いて具体的に実現されているか」が基準です。本件のクレーム11がmemory・hardware processorを明示する点、データインターフェース・API接続・フォーマット変換という具体的処理が記載される点から、ソフトウェア関連発明として特許適格性を満たしやすいと考えられます。進歩性は「動的なモデル選択」「適合フォーマット変換」の技術的工夫と効果が鍵です。
欧州では技術的性質に貢献する特徴のみが進歩性に算入されます。本件の「異種モデル間の相互運用を可能にするフォーマット変換」「API接続による連携」は技術的課題(相互運用性)への技術的解決と位置づけやすく、純粋なビジネス手法との評価を回避しやすい構成です。
① 「アイデア」ではなく「処理フロー」で書く。受信→分解→選択→変換→接続→出力→次タスク生成という具体的ステップに落とし込む。
② エージェント間の「インターフェース」を技術的フックにする。適合フォーマット・API接続・通信プロトコルは抽象論から脱却する強力な手がかり。
③ 方法・システム・媒体の3カテゴリで立てる。異なる侵害主体を捕捉し、保護の網を広げる。
④ 従属クレームで権利を重層化する。上位概念→下位概念、実装バリエーション、構成の特性を段階的に押さえる。
⑤ 実施例を厚く書く。多様な応用例で実施可能要件・サポート要件を満たし、広いクレームを支える。
権利範囲は未確定です:本件(US2025/0265443 A1)は米国の特許出願公開であり、登録特許ではありません。最終的な権利範囲は今後の審査(オフィスアクション対応・補正等)を経て確定します。本記事は公開された出願書類に基づく技術・制度の一般的解説であり、特定の権利範囲や有効性を保証するものではありません。第三者の事業判断(侵害分析・FTO等)にあたっては、必ず最新の経過情報とUSPTO公式の正本、および専門家の個別検討をご利用ください。
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初回無料相談を予約IT・AI知財サービスQ. US2025/0265443 A1はどんな特許ですか?
A. Salesforce社による「タスク指向の階層型エージェント・アーキテクチャ」に関する米国特許出願です(2025年8月21日公開、全20クレーム)。上位の「マネージャー・エージェント」が複雑なタスクを小タスクに分解し、各サブタスクに最適な下位モデルを動的に選択し、相手モデルに適合するフォーマットのパッケージをAPI経由で受け渡して協調処理させる、マルチエージェントAIの基盤技術を対象としています。
Q. これは登録された特許ですか?
A. いいえ。末尾の「A1」は米国の特許出願公開(published application)を意味し、2026年時点では審査係属中です。最終的な権利範囲は今後の審査で確定します。
Q. この特許の独立クレームはいくつありますか?
A. 3つです。クレーム1(方法/method)、クレーム11(システム/system)、クレーム20(非一時的機械可読媒体/non-transitory machine-readable medium)の3カテゴリで、いずれも同一の中核的限定を共有しています。残るクレーム2〜10・12〜19は従属クレームです。
Q. マルチエージェントの仕組みは特許になりますか?
A. 「複数のAIを使う」というアイデア自体は抽象的で特許になりにくいですが、本件のように「タスクを分解し、適合フォーマットのパッケージを生成し、API接続を構築して出力を受け取り、次のタスクを生成する」という具体的な情報処理フローとして記載すれば、日本でも米国でも権利化の可能性が高まります。
Q. なぜ方法・システム・媒体の3つのクレームを立てるのですか?
A. 保護の網を広げるためです。方法クレームは処理手順を、システムクレームは装置(メモリ・プロセッサ)を、媒体クレームはプログラムを記録した記録媒体を保護対象とします。これにより、同じ発明を「実施する者」「装置を製造・販売する者」「プログラムを配布する者」といった異なる侵害主体を捕捉できます。
Q. 日本企業がマルチエージェント技術で特許を取るには?
A. エージェント間の通信プロトコル、動的な選択ロジック、タスクパッケージのフォーマット変換など、技術的に具体化できる部分をクレームの中心に据えることが有効です。単なるビジネスアイデアやプロンプトの工夫に留めず、システムの処理フローとして記載することが鍵です。
Q. AIエージェント発明の明細書で特に注意すべき点は?
A. ①技術的課題(例:単一エージェントでは複雑タスクを解けない)と解決手段を対応づけて記載すること、②実施例を複数・多様に記載して実施可能要件・サポート要件を満たすこと、③「適合フォーマット」「API接続」など機能的概念を具体的処理に落とし込むこと、の3点です。
Q. 出願前に発表してしまった技術でも特許は取れますか?
A. 原則として、論文・OSS・プレスリリース等で公開した後は新規性を喪失し特許を取得できません。日本には一定要件下の新規性喪失の例外(30条)がありますが国により要件が異なり万能ではないため、公開前の出願完了が鉄則です。