スイスは、時計・精密機械・医薬品・食品など「スイス製」ブランドの価値が世界で最も高い国のひとつです。日本企業にとっても、欧州の中でEU(EUTM)ではカバーされない重要市場であり、スイスへの商標出願は欧州展開の要になります。一方でスイスの商標制度は、特許庁(IPI)が先行商標との抵触を審査しない、不使用取消の猶予期間が5年、「スイス製」表示に厳格なSwissness基準があるなど、日本と大きく異なる点が多く、日本の感覚で出願すると思わぬ落とし穴があります。
本記事では、スイス連邦知的財産庁(IPI)の公式情報・商標保護法(TmPA)・最新の判例を一次資料として、出願から登録・異議・不使用取消・Swissness・侵害対応までを弁理士が実務目線で整理します。
この記事のポイント
目次
LEGAL FRAMEWORK
商標保護法(TmPA)・商標保護令(TmPO)・IPI審査ガイドラインの三層構造。EU法の適用はなく、スイス独自の運用
スイスの商標制度は、1992年8月28日制定の「商標及び原産地表示の保護に関する連邦法」(Markenschutzgesetz/Trade Mark Protection Act、略称TmPA・SR 232.11)と、その施行規則である商標保護令(TmPO)、そしてスイス連邦知的財産庁(IPI/IGE、ベルン)が公表する審査ガイドライン(2026年版)で運用されています。手続言語はドイツ語・フランス語・イタリア語の3か国語で、出願人はいずれかを選択します。
スイスはEUに加盟していないため、欧州連合商標(EUTM)の効力はスイスには及びません。EU27か国をEUTMでカバーしても、スイスと英国は別途手当てが必要です。スイスはマドリッド協定・議定書の双方に加盟しているので、日本からはマドプロ国際商標出願でスイスを指定するか、スイス国内の代理人を通じてIPIに直接出願するかの2ルートがあります。
IPIの統計によると、2023年の国内商標出願は16,908件、登録は16,599件、マドプロ経由でスイスを指定した国際登録は16,188件で、スイスで有効な商標の約52%は国際登録によるものです。国内出願の約98%は電子出願システム「e-trademark」経由で、手続のデジタル化が進んでいます。
スイスに住所がない出願人の要件
スイスに住所・営業所を持たない出願人は、スイス国内の送達先(代理人)を指定する必要があります。委任状は簡易署名のスキャンで足り、公証・認証は不要です。優先権証明書は出願から6か月以内に提出し、英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語なら翻訳不要です。
TmPAは、商品・役務を他人のものと識別できる標識を広く商標として認めています。文字・数字・図形・スローガン・立体的形状・色彩の組合せ・音(音符列)などが登録可能で、団体商標・保証商標のほか、2017年からは地理的商標(geographical mark)も導入されました。一方、香りは保護対象外です。
日本と決定的に異なるのは、IPIは先行商標との類似(相対的拒絶理由・TmPA第3条)を職権では審査しない点です。既存の登録商標とそっくりな商標でも、絶対的拒絶理由がなければそのまま登録・公告されます。先行権利者は登録後の異議申立で争うことになるため、出願人側は事前のクリアランス調査、権利者側は登録後の監視(ウォッチング)が日本以上に重要になります。
「Swiss」「スイス十字」を含む商標:IPIは、商標に「Swiss」やスイス十字などの原産地表示が含まれる場合、誤認防止の観点から審査します。以前は指定商品を「スイス原産の商品」に限定する補正が一律に求められていましたが、2022年3月1日以降は、法令上の義務がなく適正な使用が可能な場合には限定を求めない運用に変わりました。ただし限定の有無にかかわらず、実際にSwissness基準を満たさない商品にスイス表示を使えば違法となります。
PROCEDURE
出願 → 方式・絶対的拒絶理由の審査(3〜5か月) → 登録・Swissreg公告 → 3か月の異議期間。登録が先、異議が後の「登録後異議」型
優先権
パリ条約に基づき、日本出願から6か月以内にスイス出願すれば優先権を主張できます。商標の優先期間は特許の12か月より短いので、日本出願と同時に海外展開の計画を固めておくことが重要です。
IPIの公式手数料は2024年7月1日に改定され、電子出願の割引が明確になりました。主な庁費用は次のとおりです(スイスフラン建て。1CHF≒170〜180円で換算すると出願の庁費用は6〜8万円程度)。
| 項目 | 庁費用(CHF) | 備考 |
|---|---|---|
| 出願(3区分まで) | 450(紙)/350(電子) | 10年分の保護を含む |
| 追加区分 | 100/区分 | 4区分目から |
| 加速審査 | 400 | 数週間で審査結果 |
| 異議申立 | 800 | 異議期間内に納付 |
| 不使用取消請求(IPI手続) | 800 | 2017年導入の簡易手続 |
| 更新(10年) | 550 | 満了後6か月以内は+50 |
これに現地代理人費用が加わります。マドプロでスイスを指定する場合はIPIの個別手数料(3区分まで基本額、4区分目から加算)をWIPOに支払う形になり、WIPOの手数料計算ツールで確認できます。複数国に出願する場合はマドプロの費用とメリットも併せてご覧ください。
補助金の活用:中小企業がスイスへ商標出願する費用は、INPIT外国出願補助金(費用の1/2、商標1出願あたり上限60万円)の対象になります。当事務所は申請書類の作成もサポートしています。
IPIが先行商標を審査しない分、スイスでは異議申立(opposition)が先行権利者の主戦場です。制度の要点は次のとおりです。
監視体制が必須:自社商標と紛らわしい商標がスイスで登録されても、IPIから通知は来ません。3か月の異議期間を逃すと、以後は裁判所での無効訴訟(費用・時間とも大幅増)でしか争えなくなります。スイスを重要市場と位置づける企業は、Swissregの公告を対象にした商標ウォッチングを組み込んでおくべきです。
スイスでは出願時・登録時に使用や使用意思の証明は不要ですが、登録後に使用しないと権利を失います。TmPA第11条・第12条は、異議期間の満了から5年間継続して商標を使用しなかった場合、正当な理由がない限り商標権を主張できないと定めています(日本の3年より長い)。
2017年1月1日から、誰でもCHF 800でIPIに不使用取消を請求できる簡易行政手続が利用できます。それまでは裁判所での取消訴訟しかなく、費用と時間の負担が大きかったため、この手続の導入で不使用商標の整理が格段に容易になりました。
請求できるのは異議期間満了から5年経過後です。自社が権利者の場合は、スイス国内での使用証拠(日付入りのカタログ・請求書・スイス向けウェブサイトのアーカイブなど)を継続的に保管しておくことが防御の基本です。各国の使用義務の違いは商標の登録後の維持義務 世界比較で整理しています。
実務上の大きな変更点として、1892年のスイス・ドイツ相互保護条約の失効があります。この条約により、長年にわたりドイツで登録商標を使用していればスイス商標の使用として認められ(その逆も同様)、ドイツ市場のみで事業を行う企業もスイス商標を維持できました。
しかしEU司法裁判所が同条約をEU法と両立しないと判断したことを受け、ドイツは2021年4月20日付の通告で条約を終了させ、2022年5月31日をもって失効しました。2022年6月1日以降のドイツでの使用は、スイス商標の使用証拠として考慮されません。日本企業でも、欧州の物流拠点をドイツに置き、スイスには直接販売していないケースでは、スイス商標が不使用取消の対象になるリスクがあります。スイス向けの販売実績を意図的に作るか、少なくともスイス向けの販売サイト・代理店を整えておく必要があります。
SWISSNESS
2017年1月1日施行。「Swiss」「Made in Switzerland」「スイス十字」を使えるのは、法定の原産地基準を満たす商品・サービスだけ
「スイス製」は消費者調査で最大20%のプレミアムがつくとされるほど価値の高い表示で、その濫用を防ぐため、2017年1月1日にTmPAの改正(いわゆるSwissness立法)が施行されました。商標登録の可否とは別に、実際の表示・広告での使用が規制される点が重要です。
| 区分 | スイス表示を使える条件 |
|---|---|
| 工業製品 | 製造コストの60%以上がスイス国内で発生し、かつ本質的な製造工程の少なくとも1つがスイスで行われること(研究開発費も算入可) |
| 食品 | 原材料の重量の80%以上がスイス産で、本質的な加工がスイスで行われること。乳・乳製品は100%スイス産の乳が必要 |
| 天然産品 | 採取・収穫・生育の場所がスイスであること |
| サービス | 事業者の本店所在地がスイスにあり、かつ実質的な経営管理がスイスで行われていること |
基準を満たさない場合でも、「Designed in Switzerland」「Swiss Research」のように特定の工程だけを示す表示は、その工程が完全にスイスで行われていれば可能です。ただしスイス十字を併用すると商品全体の原産地を示すものと受け取られるため、工程限定表示とスイス十字の組合せは認められません。時計については別途、連邦令で「Swiss made」の要件(製造コストの60%以上、ムーブメントのスイス製要件など)が定められています。
2026年1月:外国企業に対する初のSwissness勝訴判決
2026年1月8日、ベルン商事裁判所はIPIがBDSwiss AG(キプロスから経営され、主要顧客がドイツにある金融サービス会社)を訴えた事件で、同社に社名から「Swiss」を、ロゴからスイス十字を除去するよう命じました。スイスに形式的な登記上の本店を置くだけでは足りず、実質的な経営がスイスで行われていることを証明できなければサービスのスイス表示は違法、というサービス分野のSwissness基準が裁判で初めて確認された判決です。IPIは外国企業に対しても積極的に権利行使する姿勢を示しています。
日本からスイスに商標出願する場合、マドプロ国際商標出願でスイスを指定する方法と、スイスの代理人を通じてIPIに直接出願する方法があります。それぞれの特徴は次のとおりです。
| 観点 | マドプロ指定 | 直接出願 |
|---|---|---|
| 向いているケース | EU・英国など複数国と同時に出願する場合 | スイスのみ、または指定商品をスイス向けに細かく調整したい場合 |
| 現地代理人 | 拒絶通報が来るまで原則不要 | 出願時から必要(送達先) |
| IPIの審査期限 | 指定通知から18か月以内に暫定拒絶を通報。拒絶への応答期限は5か月(延長可) | 通常3〜5か月で結論 |
| セントラルアタック | 国際登録から5年間、日本の基礎商標に連動して消滅するリスク | なし |
| 指定商品の記載 | 英語で作成した国際登録の記載がそのまま審査対象。IPIの分類実務に合わない表現は拒絶通報の原因に | 独・仏・伊語で、IPIの分類ツールに沿って作成できる |
スイスで有効な商標の約半数がマドプロ経由であることからも分かるとおり、欧州展開の一環としてスイスを押さえるならマドプロ指定が費用面で有利です。一方、スイス市場が中核で、「Swiss」を含む商標や立体商標など審査で論点になりやすい出願は、最初から現地代理人と連携できる直接出願が確実です。なお、マドプロを使う場合でも、指定商品の記載はスイスの分類実務に合わせて事前に調整しておくと拒絶通報を避けやすくなります。
商標侵害訴訟は各州(カントン)が指定する単一の裁判所(チューリッヒ・ベルン・アールガウ・ザンクトガレンでは商事裁判所)が第一審となり、上訴は連邦最高裁判所に直接行われる二審制です。差止め・損害賠償(逸失利益・侵害者利益・実施料相当額のいずれか)・情報開示・廃棄・判決の公告が認められ、緊急時は一方的(ex parte)な仮処分も可能ですが、懲罰的賠償はありません。
連邦税関に申請しておけば、侵害疑義品の輸出入を差し止めてもらえます。差止め後、権利者は10日以内(10日延長可)に仮処分等を得るか、荷主の同意を得て廃棄します。2025年7月1日施行の改正では、3点以下かつ5kg以下の小口貨物について、税関の差止め後にIPIが廃棄通知を行い、受取人が10日以内に異議を述べなければ廃棄できる簡易手続が導入されました。越境ECで流入する模倣品への対応が現実的になっています。
| 項目 | スイス(IPI) | 日本(特許庁) |
|---|---|---|
| 先行商標との類似の審査 | 職権審査なし(異議で争う) | 職権審査あり(4条1項11号) |
| 異議申立 | 公告後3か月・先行商標権者のみ・CHF 800 | 公報発行後2か月・何人も可 |
| 審査期間の目安 | 3〜5か月(加速審査あり) | 6〜8か月程度(早期審査あり) |
| 不使用取消の猶予 | 5年(IPI簡易手続CHF 800) | 3年(審判) |
| 存続期間 | 出願日から10年・更新無制限 | 登録日から10年・更新無制限 |
| 出願庁費用(3区分) | CHF 350(電子) | 出願12,000円+8,600円×3区分、登録料は別途 |
| 原産地表示の規制 | Swissness基準(60%/80%ルール)を商標法で規定 | 景表法・不正競争防止法で対応 |
| 異議の最終審 | 連邦行政裁判所 | 知財高裁 → 最高裁 |
最大の違いは「先行商標の審査をIPIがしない」ことです。日本では特許庁が防波堤になってくれる先行商標との抵触リスクを、スイスでは出願人と権利者が自ら管理しなければなりません。なおスイスの意匠制度についてはスイスの意匠制度概要で解説しています。
保護されません。スイスはEU非加盟のため、欧州連合商標(EUTM)の効力はスイスに及びません。マドプロでスイスを指定するか、IPIに直接出願する必要があります。
IPIの審査は通常3〜5か月で、順調なら4〜6か月程度で登録されます。CHF 400の加速審査を使えば数週間に短縮できます。登録・公告後に3か月の異議期間があります。
庁費用は電子出願でCHF 350(3区分まで、10年分含む)、4区分目からCHF 100/区分です。これに現地代理人費用が加わります。更新はCHF 550です。中小企業はINPIT外国出願補助金で費用の1/2の助成を受けられる場合があります。
異議期間満了から5年間使用しないと、誰でもCHF 800でIPIに取消を請求できます。請求人が不使用を疎明すると、権利者が使用を証明する側に回ります。2022年6月以降はドイツでの使用はカウントされないので、スイス国内での使用実績が必要です。
デザイン工程が完全にスイスで行われていれば、工程を限定した表示として可能です。ただしスイス十字との併用や、商品全体がスイス製であるかのような表示は、製造コストの60%以上がスイス国内であることなどのSwissness基準を満たさない限り違法になります。
Swissreg公告から3か月以内であれば、CHF 800で異議申立ができます。期限を過ぎた場合は、裁判所での無効訴訟か、相手の商標が5年以上不使用ならIPIの不使用取消手続を検討します。まずは公告日の確認を急いでください。
スイスの商標制度は、手続自体はシンプルで費用も比較的抑えられる一方、「IPIが先行商標を審査しない」「不使用取消の猶予が5年で、ドイツでの使用がカウントされなくなった」「Swissness基準が厳格でIPIが外国企業にも権利行使する」という3つの特徴が、日本企業の実務に直接影響します。EUTMではカバーできない市場である以上、欧州展開の設計段階でスイスを組み込み、出願前調査・公告監視・スイス国内の使用証拠という3点を運用に落とし込むことが、スイスでのブランド保護の要諦です。
スイスを含む各国の商標制度は世界の商標制度ガイドで地域別に整理しています。
マドプロ指定と直接出願の選択、指定商品の設計、Swissness基準の確認、INPIT外国出願補助金の申請まで、知的財産事務所エボリクスが一貫してサポートします。初回相談は無料です。
※本記事はスイス連邦知的財産庁(IPI)の公式サイト(手数料一覧〔2024年7月1日改定〕・商標統計・不使用取消手続の案内・2025〜2026年のニュースリリース)、スイス商標保護法(TmPA、WIPO Lex掲載英訳)、Chambers「Trade Marks & Copyright 2026 – Switzerland」、Kluwer Trademark Blog、Lexology掲載の1892年スイス・ドイツ条約終了に関する解説、連邦行政裁判所B-6194/2024・B-6574/2025、連邦最高裁判所4A_518/2021、ベルン商事裁判所のBDSwiss事件に関するIPI発表を基に、2026年9月時点の情報で一般的な情報提供を目的として作成しています。手数料・運用は変更されることがあります。個別案件の具体的判断には、専門家へのご相談を推奨します。