コンテンツまでスキップ

タイの商標制度概要

出願手続(出願から登録までの流れ)

タイの商標制度は先願主義(first-to-file)を採用しており、基本的に早く出願した者が権利を取得します。外国企業がタイで商標権を取得する場合、現地の知的財産局(Department of Intellectual Property, DIP)へ出願を行います。出願から登録までの一般的な手続の流れは次のとおりです。

  1. 商標出願の提出: 出願書類をDIPに提出します。出願言語はタイ語であり、外国文字を含む商標はその意味を願書に記載する必要があります。出願時に願書、商標見本(5cm×5cm程度)及び指定商品・役務の具体的リストを提出します。※タイはニース分類を採用していますが、「衣類」「化粧品」のような包括的表示は認められず、Tシャツフェイスパウダー等の具体的商品名を記載する必要があります。また、タイではマルチクラス出願も形式上可能ですが、費用面のメリットがなく、あるクラスで拒絶理由が出ると全クラス登録不可になるため、実務上はクラス毎に別々に出願することが一般的です。外国出願人は通常タイの代理人を通じて出願を行い、公証人認証済みの委任状(Power of Attorney)の提出が求められます。

  2. 方式審査: 出願後、形式面の要件不備がないか方式審査が行われます。不備があれば補正指令が出され、出願人は原則60日以内に補正対応する必要があります。方式不備に不服がある場合は、商標委員会(後述)に不服申立て(審判)も可能です。

  3. 実体審査: 方式要件を満たした出願は審査官による実体審査に進みます。審査官は当該商標が登録要件(識別力等)を満たすか、法令で禁止された標章に該当しないか、また先に登録された他人の商標と同一・類似でないか等を審査します。タイでは審査官が過去の登録商標との類否も含めて広範なサーチを行い、必要に応じて周知商標の盗用出願でないかインターネット調査も行われます。そのため審査には数ヶ月を要し、しばしば拒絶理由が通知される傾向にあります。拒絶理由通知(オフィスアクション)が出た場合、出願人は通知受領後60日以内に応答し、必要な補正や意見書提出を行います。例えば指定商品・役務の範囲を具体的に限定したり、識別力の弱い部分にディスクレーム(権利不請求)を付すこと等で登録可能となるケースがあります。審査官は出願人の対応を考慮し、受け入れ可能と判断すれば登録適格とし官報公告に回付します。不十分な場合は再度の補正指令、または最終的な拒絶査定(最終拒絶)を発し得ます。拒絶査定が確定した場合、出願人は通知受領後60日以内に商標委員会(Trademark Board)に審決取消しを求める審判を請求できます。

  4. 公告(異議申立て期間): 審査で登録適格と判断された商標は商標公報に掲載され、出願公告されます。公告日から60日間は異議申立期間となり、第三者が異議申立てできる期間です。異議の理由は識別力欠如、法定禁止事項該当、他人の登録商標と紛混などが主なものです。異議が申し立てられた場合、出願人は通知受領後60日以内に異議に対する答弁書(カウンターステートメント)を提出しなければ、出願が放棄されたものと見なされます。審査官(レジストラ)は提出された双方の主張・証拠に基づき異議の採否を判断し、決定を通知します。このレジストラの異議決定に対しても、当事者は60日以内に商標委員会へ上訴(異議に関する審判請求)することが可能であり、その後さらに知的財産・国際貿易裁判所(IP&ITコート)へ司法的に争う道も用意されています。

  5. 登録査定・設定登録: 異議申立てがなく60日の期間が経過するか、異議が最終的に棄却された場合、商標は登録査定となります。DIPから登録料納付通知が発せられ、出願人は通知受領後60日以内に所定の登録料を納付します。登録料の納付が完了すると商標権が発生し、商標登録証が発行されます。タイでは商標権の効力発生日は出願日(優先権主張があれば優先日)に遡及する点が特徴です。≪参考≫日本では登録日から効力が発生しますが、タイでは出願日に遡って登録されたものと見なされます。

審査期間の目安: 出願から登録までの所要期間は概ね12~18か月程度です。近年では審査官数の不足等もあり審査に時間を要する場合もありますが、拒絶理由がなければ1年弱(約10か月)で登録に至るケースもあります。日本の平均審査期間(出願から登録まで約6~12か月)と比較すると若干長めですが、概ね1年前後と実務感覚として大差はありません。

登録要件

タイ商標法における主な登録要件(登録可能な商標の条件)は以下のとおりです。

  • 識別力があること(商標法第7条): 他人の商品・役務と区別できる識別力(Distinctiveness)を有する標章であること。

  • 法令で禁止された標章でないこと(第8条): 公序良俗に反する表示や国家の紋章等、法律で登録不可と明記された標章に該当しないこと。

  • 他人の先登録商標と同一・類似でないこと(第13条): 同一または混同を招く類似の商標がすでに他人によって登録(または出願)されていないこと。タイは先願主義のため、先に出願・登録された商標と紛らわしい商標は登録できません。

以上は日本の商標制度における登録要件(識別力の具備、公益欠缺事由の不該当、先願商標との非類似)と概ね共通しています。ただしタイでは特に王室や国家に関連する標章に厳しく、国章・王室の紋章・タイ王族の肖像等は明示的に登録禁止です。また他人の著名商標と同一・類似の商標も、第8条で公序良俗違反として絶対的拒絶理由に該当すると規定されています(日本では著名商標と紛らわしい商標は商標法4条1項15号などの相対的拒絶理由で不登録となります)。加えてタイ商標法は、権利取得の目的でない出願(真正な使用意思のない出願)を防ぐ趣旨から、「善意の使用意思」を暗に要請しており、登録後に全く使用されていない場合には不使用取消しの対象となり得ます(詳細は「使用義務」の項参照)。

審査基準や拒絶理由

識別力(distinctiveness)の判断基準: タイでは商標の識別力に関する審査基準が厳格であり、記述的な語句平凡な図形からなる商標は原則登録できません。例えば、商品の質・効能・産地などを直接表示する一般語や、ごくありふれた姓、一文字や数字のみの標章は「識別力なし」として拒絶されます。審査官はしばしば商標が商品・役務の性質を暗示・記述しているとして異議を唱える傾向があります。これは日本でも同様に記述的商標普通名称は登録できませんが(商標法3条各号)、タイではアルファベットの略語などにも非常に厳しく、例えば3文字の欧文字の組合せ(例:「DMC」など)ですら、造語であっても識別力なしと判断される場合があります。他方、まったくの造語や任意に創出した図形などは識別力ありと認められます。また、使用による識別力の取得もタイで認められています。例えば日本語で「おいしい」という意味の**「OISHI」**という商標は本来飲食物に対して記述的で登録不可ですが、タイ国内で長年大規模に使用された結果、特定の商品のブランドとして周知となり商標登録が認められた例があります。もっとも、使用による識別力立証のハードルは高く、大量の広告資料や売上実績など客観的証拠をもって広範な周知性を示す必要があります。

絶対的拒絶理由: 上記識別力欠如のほか、タイ商標法第8条は登録を禁止する商標の類型を定めています。代表的なものは公序良俗違反(社会倫理に反する標章)や政府・王室に関する標章です。具体的には各国の国旗や国章、タイ王室の紋章・肖像等は登録できません。また他人の著名な商標と同一もしくは紛らわしい商標も、公序良俗に反するものとして登録不可とされています。例えば他社の有名ブランドを翻案した商標は、たとえ国内未登録でも著名商標の希釈化に繋がるため拒絶される可能性が高いです(パリ条約の周知商標保護に対応)。さらに、商品品質の誤認を生じさせるおそれのある商標や、地理的表示として保護されるべき地名のみからなる商標なども拒絶理由となり得ます(※地理的名称のみからなる標章も通常識別力無しと判断されます)。

相対的拒絶理由: 商標法第13条に基づき、他人の先登録商標と同一・類似の商標は登録できません。審査官は商標データベースで過去の登録・出願を検索し、指定商品・役務が同一または類似範囲で先行する紛らわしい商標が存在すれば拒絶します。このため、出願前にはタイ商標データベースでの先行調査が推奨されます。特に現地語への翻訳・翻字や図形要素による類似も考慮されるため、専門代理人による調査が有用です。タイにはコンセント制度(同意書による類似商標の許容)は明文化されておらず、基本的に先願優位で同一・類似商標の併存登録は認められません(※例外的に、争いの当事者双方が善意に使用していた商標について裁判所の判断で併存が認められるケースが理論上あり得ますが、通常の審査段階では申請人間の同意書提出によって拒絶理由を回避する制度はありません)。この点、日本では2010年代以降、審査基準の柔軟化により関係者の同意がある場合に登録が認められる事例も出ていますが、タイでは依然として厳格な類否審査が維持されています。

拒絶理由への対応: 審査官から拒絶理由通知を受け取った場合、出願人は60日以内に対応する必要があります。指定商品の絞込みや一部削除、商標の一部について権利請求を放棄するディスクレーマーによって登録に至ることもあります。例えば商標中の記述的な語句に権利を主張しないことを明示すれば、全体として登録が許容される場合があります。対応期限内に補正や意見書提出を行わないと、出願放棄と見なされてしまうため注意が必要です。審査官が最終拒絶をした場合でも、前述のとおり商標委員会に審判請求して争うことが可能です。商標委員会は知的財産局長を議長とし、法律・商取引の専門家8~12名で構成されており、審査官の判断の妥当性を審理します。商標委員会での審理には平均18~24か月ほど要します。委員会の判断にも不服があれば、更に90日以内に知的財産・国際貿易裁判所(知財・国際取引裁)へ提訴し司法審査を仰ぐことになります。このように複数段階の不服申立て手段が用意されている点は日本と共通しています(日本では審査段階での拒絶に対しJPO審判→知財高裁→最高裁と進みます)。

保護対象(商標の定義、識別力など)

商標の定義と種類: タイ商標法第4条は「商標(mark)」を広く定義しており、「写真、絵画、図形、ブランド、名称、語句、文字、数字、署名、色彩の組合せ、物体の形状または形象、音、またはこれらの結合」と規定しています。2016年の法改正で音商標が定義に追加され、音も商標として登録可能になりました。したがって、現在タイでは伝統的な文字商標・図形商標に加え、立体的形状(3D商標)や色彩の組合せ音商標といった非伝統的商標も保護対象に含まれます。ただし匂い商標動き商標などは現行法では明示されておらず、登録事例もありません。また、サービスに使用するサービスマーク、共同体が使用する団体商標、商品・サービスの品質等を証明する証明商標も法定の保護対象として定められています。これらの制度は日本の商標法におけるサービスマーク・団体商標・証明標章の概念とほぼ同様です。

識別力の要件: 上記のように広範な態様の標章が商標として出願可能ですが、実際に登録を受けるためには他人の商品・役務と区別できる識別力が必要です。例えば、企業ロゴや造語的なブランド名は通常そのまま識別力ありと認められます。一方、商品そのものの形状(立体商標)については、単に製品のデザインであるに過ぎない場合は出所表示機能がないとして拒絶されることがあります。タイ知的財産局は3D商標の登録に慎重で、包装形状なども、それ自体が出所表示として機能し他に同業他社が採用しない独特の形状である場合にのみ認める運用です(純粋に機能的な形状やありふれた包装形状は不可)。また色彩のみからなる商標についても、特定色の組合せが著名になり識別力を獲得した例がない限り、単色・多色の抽象的組合せだけでは登録は難しいとされています。ただし2016年改正で「色彩の組合せ」が商標定義に明記されたため、企業のコーポレートカラー等について今後登録事例が蓄積する可能性はあります。

周知・著名商標の保護: タイはパリ条約加盟国であり、未登録の周知商標についても一定の保護が図られています。具体的には商標法8条で、他人の周知商標と同一・類似の商標は公益に反するとして登録が拒絶されるほか、商標法67条により、登録後5年以内であれば自己の方が先に商標を使用して周知であったことを証明することで、先に登録された商標の取り消しを裁判所に求めることもできます。もっとも運用上、67条に基づく取消しが認められるのは「タイ国内で広く知られている商標」に限られ、ハードルは高いです。未登録商標自体には原則として侵害禁止の請求権はないため、実務的には重要商標は必ず登録して保護を確保することが重要です。

商標権の範囲: 登録された商標権は、その登録商標と同一または類似の商標を、指定商品・役務について無断使用する行為に及びます(権利範囲の基本的考え方は日本と同じです)。タイでは出願時に色彩を指定して登録することも可能であり、例えば特定の色の組合せで権利取得した場合、その色彩での使用に限定した権利となります。一方で色彩を主張せずモノクロで登録しておけば、あらゆる色彩での使用に対して権利行使できる利点があります。出願戦略として、ロゴの色に特徴がある場合でもあえて色彩を請求しない選択も検討されます。さらに、言語の問題としてタイでは商標をタイ語表記とローマ字表記で併記して出願することも可能です。例えば英語商標とそのタイ語翻字を一つの商標として登録すると、第三者が英語表記のみ、あるいはタイ語表記のみを使用した場合にも権利行使できるメリットがあります。しかしその一方で、商標権者自身が両方の表記を使用していない場合、不使用取消しのリスク評価が難しい側面があります(※判例がまだなく、英語・タイ語の一方のみ使用で商標全体の使用と認められるか不明なため)。実務上は英語商標とタイ語商標を別々に出願する方が確実とされ、日本企業も現地でブランド名がタイ語呼称で定着しそうな場合は両方の登録を検討することが望ましいです。

更新や存続期間

タイの商標権の存続期間は出願日から10年間と定められており(優先権があれば基礎出願日から起算)、以後10年ごとに何度でも更新可能です。**≪参考≫**日本では登録日から10年ですが、タイでは出願日基準のため、審査期間が長引くと実質的な初回保護期間が短くなる点に注意が必要です。例えば出願から登録まで1年半掛かった場合、登録時点で残存期間は約8年半となります。これは法改正(2016年改正法の施行)により、それ以前の「登録日から10年」から変更された点です。

更新手続: 商標権者は満了期限前の最後の3か月間に更新申請を行う必要があります。万一更新期限を過ぎてしまった場合でも、6か月間の猶予期間内であれば追加料金(通常の20%増しの手数料)を支払うことで更新が認められます。この猶予期間を過ぎると商標権は消滅し、以後は第三者による出願を許す状態となってしまいます。更新時に使用証明の提出義務は特になく、所定の更新料を納付すれば手続は完了します(米国のような使用宣誓制度はありません)。日本の更新制度と類似しており、継続して商標を保護したい場合は10年ごとに期限管理を行い更新登録をする必要があります。タイでは更新手続も現地代理人を通じて行うのが一般的であり、外国企業であれば期限の半年前程度に代理人から更新可否の問い合わせが来るケースが多いです。

権利侵害と救済措置

商標権侵害の成立要件: 登録商標と同一または類似の商標が、商標権者の許可なく指定商品・役務に使用された場合、商標権の侵害となります。タイでは登録主義が徹底されており、未登録商標の権利行使(差止め・損害賠償請求)は原則として認められていません。したがって、他者による商標の無断使用に対抗するには商標登録をしておくことが不可欠です。未登録の状態で他社が同じ標章を使っていても、一般不法行為(民法420条)による救済は困難であり(悪意のケースを除き実務上ほぼ保護されない)、刑法272条のPassing off罪(他人の商品・営業表示を用いて出所について誤認を生じさせる行為)で1年以下の懲役または2万バーツ以下の罰金を科す程度に留まります。この刑法規定は日本の不正競争防止法2条1項1号(他人の商品等表示の無断使用)に類似しますが、適用範囲や罰則は限定的です。そのため、日本企業にとっても、現地で重要ブランドを保護するには商標登録が最善策となります。

民事措置と刑事措置: タイの商標権侵害に対する法的措置には、民事訴訟と刑事告発の両方がありますが、実務的には刑事手続が多用されています。商標法違反は犯罪とされており、権利者は侵害者を警察などの捜査当局に告訴できます。警察は捜査の上、裁判所から家宅捜索令状(捜索差押令状)を取得して侵害品の差押え・犯人の逮捕を行います。タイには知的財産権侵害取締りの専門機関が複数あり、例えば経済犯罪取締局(Economic Crime Investigation Division)や特別捜査局(Department of Special Investigation, DSI)が偽ブランド品摘発の中心的役割を担っています。刑事手続は公権力による強制捜査が可能で、侵害品の迅速な押収・流通停止に有効なため、模倣品対策として権利者に広く利用されています。刑事訴追が認められるのは登録商標権の侵害行為およびその未遂等で、法定刑は4年以下の懲役または40万バーツ以下の罰金(商標権侵害の場合)と定められています。特に悪質な偽造商標の製造・販売(商標を模倣した行為)については別途2年以下の懲役または20万バーツ以下の罰金の罰則規定があります。もっとも、初犯の侵害者であれば罪を認めて罰金刑で済むケースも多く、刑事罰が常に長期懲役になるわけではありません。一方、日本では商標権侵害に対して刑事告訴することも可能ですが(10年以下の懲役または1000万円以下の罰金)、実務上は警察が動くのは悪質な営業的模倣品事案に限られます。タイでは比較的少額・小規模な侵害でも権利者主導で警察を動かせる点が日本との違いです。

民事上は、商標権者(または登録された被許諾者)は知的財産・国際貿易裁判所(IPIT Court)に差止め請求や損害賠償請求の訴えを提起できます。もっともタイでは民事訴訟による救済は限定的で、訴訟コストや時間がかかるため利用頻度は高くありません。戦略的には、まず刑事摘発で侵害行為を止め、その後必要に応じて民事で損害賠償を求めるという使い分けが行われています。また、民事訴訟では裁判所に対し仮処分(差止めの暫定命令)を申し立てることも可能ですが、タイの裁判所が仮処分を発令するには非常に厳格な要件を満たす必要があります。具体的には侵害行為により回復しがたい損害が生じ、かつ被告が賠償不能の恐れがある等の特別な事情が必要で、実務上仮処分が認められるのはごく例外的です。この点、日本の仮処分制度と似ていますが、日本では比較的早期に仮処分が出るケースもあるのに対し、タイでは発令ハードルが高いと言えます。

侵害に対する救済内容: 侵害が認められた場合、刑事では前述の懲役刑・罰金刑が科され、侵害品は没収・廃棄処分となります。民事では損害賠償額として侵害による営業上の損失額等が認定されれば賠償金の支払いが命じられ、将来の侵害行為差止めの恒久的差止命令が出ます。なおタイ法には**懲罰的損害賠償(punitive damages)**の規定は通常の商標侵害訴訟にはありません(製造物責任法など特定の場合を除く)。したがって実際の損害額や相当なライセンス料相当額が賠償額の上限となります。これは日本でも同様に、現行法では懲罰的賠償は認められていません。

税関差止め(国境措置): タイでは商標権者または代理人が税関当局に通報することで、輸出入段階での侵害品差止めも可能です。商標権者は税関に対し自社商標と典型的な侵害品情報を提供しておき、侵害の疑いがある輸入貨物を発見した際に通報すれば、税関が職権でその貨物を押収・差止めしてくれます。差し止め後、権利者は24時間以内にその物品が真正品か否か確認し、偽造品であれば正式に差押えの継続と処分を求める流れです。タイには日本のような税関への知的財産権登録制度はありませんが、税関当局は独自に偽ブランド品の摘発を行っているため、権利者は自社窓口(代理人連絡先)を税関に通知し協力関係を築いておくことが重要です。なお、日本でも税関への輸入差止申立て制度があり、偽ブランド品の輸入を押さえる点は共通しています。

ライセンス・権利譲渡: 商標権者の許諾を受けた登録商標の使用許諾(ライセンス)について、タイ法では契約を書面で締結しDIPに登録することが求められます。ライセンス契約を商標登録原簿に登録しない場合、その契約は第三者に対抗できないだけでなく当事者間でも無効と解釈されるのがタイの特徴です。つまりライセンシー(被許諾者)はライセンス登録をしていないと正式には使用権限を持たず、侵害者に対する差止請求権も行使できません。日本では商標使用許諾の登録は任意であり、未登録でも契約自体は有効ですが、タイでは登録を効力要件としている点に注意が必要です。またライセンス契約には品質管理条項を盛り込むことが義務付けられています。これは日本と同様、商標の信用維持のためライセンサーが品質をコントロールできる契約でなければなりません。権利譲渡(商標の移転)についても譲渡証書を作成して登録官への登録が必要です。これらのライセンス・譲渡の登録手続も現地代理人を通じて行うのが一般的です。

知的財産専門裁判所: タイには1997年に設立された**中央知的財産・国際取引裁判所(Central IP&IT Court)**があり、商標権侵害など知財係争は同裁判所が第一審を担当します。判決に不服な場合、上級審として最高裁判所への上告が可能です。知財事件に精通した裁判官が扱うため、専門的な判断が期待できます(日本では知財高等裁判所が設置されていますが、タイは地裁レベルから専門法廷がある点が特徴です)。侵害訴訟の審理期間は事件によりますが、刑事・民事ともおおよそ1~2年程度とされています。判決後の控訴期間は1か月以内と比較的短く、迅速な手続進行が図られています。

国際出願との関係(マドプロ含む)

タイは**マドリッド協定議定書(Madrid Protocol)**に2017年8月7日に加盟し、同年11月7日から効力が発生しました。これにより、日本などタイ加盟前からの議定書メンバー国の企業は、マドリッド出願でタイを指定することが可能です。マドプロ出願によってタイを指定した場合、タイDIPが受領官庁となり、通常の国内出願と同様に実体審査・公報公告・異議申立てを経て保護が認められます(タイはプロトコル加盟国として原則18か月以内に保護可否を通知する義務を負います)。マドプロ経由の場合でも審査基準・要件は国内出願と変わらず、例えば識別力欠如や類似商標の存在により暫定的拒絶通知(Notification of Provisional Refusal)がWIPO経由で発せられることがあります。この場合、出願人(日本企業等)はタイの代理人を選任し、通知受領後90日以内に拒絶理由に対する応答を行う必要があります(期間計算はWIPO規則に基づく)。応答が認められ審査をクリアすれば、国際登録に基づくタイでの保護が確定し、国際登録簿に記録されます。

パリ優先権: タイはパリ条約にも加盟(2008年8月発効)しており、日本を含む他の加盟国で最初に出願してから6か月以内にタイへ出願すれば優先権主張が可能です。優先権証明書は基本不要ですが、タイ出願時に先の出願国・日付・出願番号を申告し、現地代理人作成の宣誓書(Declaration of Priority)を提出します。マドリッド出願でタイを指定する場合は、WIPO経由で自動的に優先権情報が伝達されるため別途手続きは不要です。

国際出願活用上の留意点: 日本企業がタイで商標保護を図る場合、マドリッドプロトコル経由現地直接出願の二通りの方法があります。マドプロは複数国を一括管理でき便利ですが、タイの審査で拒絶に対応する際には結局タイの代理人関与が必要になる点、および国際登録の維持には基礎出願国(例:日本)の商標が5年間維持される必要がある点などを考慮する必要があります(基礎商標が無効化されるとタイでの権利も影響を受ける可能性があります)。一方、現地出願(パリルート)はタイ語での手続になりますが、基礎商標に依存せず独立した権利が得られるメリットがあります。費用面では指定商品数やクラス数によって有利不利があります。タイはマルチクラス出願も可能ですが料金体系はクラス単位ではなく商品項目数によるため、多数クラスを一括指定するとむしろ割高になる場合もあります(5商品以内なら1商品あたり1,000バーツ、6商品以上なら一律9,000バーツのような段階制)。いずれの場合も、外国企業が単独で出願を進めることは難しいため、タイの知的財産に詳しい弁理士・弁護士のサポートを受けることを推奨します。

商標行政手続(関係当局・審査体制)

タイにおける商標行政を管轄するのはタイ知的財産局(DIP)で、商務省管轄の政府機関です。商標の出願・登録、審査、異議申立て、取消審判など全てDIPが取り扱います。DIPには商標登録担当の審査官(Trademark Registrar)が配置されており、彼らが日々の方式・実体審査や異議の審理を行います。審査官の決定に不服がある場合の上級審として**商標委員会(Trademark Board)が設置されています。商標委員会はDIP長官を議長とし、法律や商取引の有識者8~12名で構成され、メンバーの3分の1以上は民間から選ばれることが法定されています。この委員会が審査官の拒絶査定に対する審判請求や、取消・無効の申立て、ライセンス契約の登録可否の判断などを担当します。委員会の決定にさらに不服があれば、専門裁判所である知的財産・国際取引裁判所(IPIT Court)**に提訴でき、その判決は最高裁まで上告可能です。

タイ商標制度の審査体制の特徴として、審査請求制度がない点が挙げられます。日本の特許と異なり商標では出願後自動的に審査が開始され、また出願公開制度もなく審査に合格した時点で初めて官報公告されます。審査は絶対的・相対的双方の観点から行われ、審査官は同時に先行商標調査も行います。そのため一人の審査官の裁量範囲が広く、審査結果にもある程度ばらつきが見られることがあります。拒絶理由通知への対応では、先述のとおり60日以内に補正・意見書提出を行い、必要に応じて商標委員会に審理を求める流れです。異議申立てについてもまず審査官が決定し、その後委員会・裁判所で審理可能という三段階構造になっています。審査官の人員は限られており一人当たりの負担が大きいため、実務では些細な点でも形式的な拒絶理由が通知されることが少なくありません。しかしその分、現地代理人との調整・補正により対応可能なケースも多いため、通知に対しては丁寧に応答することが肝要です。

DIPは電子政府化も進めており、2017年7月からオンラインの**電子出願(e-filing)**を正式に導入しています。出願人はウェブ上で標準化された電子フォームに入力し出願することが可能で、処理効率の向上が図られています。日本から直接eファイルを利用することは困難ですが、現地代理人は電子出願を活用して迅速な手続きが可能です。また、DIPの商標データベースは無料公開されており、出願前の簡易な類否検索に利用できます。もっともデータの信頼性や類似群の観点などから、実際の調査や権利維持管理は専門家に依頼する方が安全です。

使用義務や不使用取消制度

タイでは商標登録後、商標の使用義務があります。もっとも、米国のように登録時や更新時に使用宣誓を提出する制度はなく、使用していないこと自体で自動的に権利消滅することもありません。しかし継続的な不使用は第三者からの取消請求の対象となり得ます。商標法第63条は、不使用取消しについて次のように規定しています:

「商標の登録からその取消しの請求までの間において、登録商標の所有者が当該商標を登録商品について誠実に使用する意思を有しておらず、かつ実際にも使用していなかったこと、または取消請求前の連続する3年間当該商標が登録商品について誠実に使用されていなかったこと」を理由に、利害関係人または登録官(レジストラ)は商標委員会に対し当該商標登録の取消しを請求できる。

平易に言えば、(1) 登録時にまったく使用意思がなく実際に使われなかった場合、(2) 登録後3年以上正当な理由なく一度も使用していない場合、これらを満たせば利害関係人(同業他社など)はその商標の取消しを求めることができます。ただしタイ法の特徴として、不使用の立証責任は請求人側にあります。すなわち、請求人が商標権者による使用が無かった事実を立証しなければならず、これは消極的事実の証明となるためハードルが高いです。例えば実際に市場でその商標の商品を見かけないとしても、「使われていない」ことを完全に証明するのは困難です。このため、取消請求が成功する例は少ないのが実情です。例外的に、医薬品や食品のように政府機関の製造販売許可が必要な商品については、その許可が取得されていない事実から未発売(未使用)と推定しやすく、不使用取消しが認められたケースもあります。しかし一般商品では、ある程度使用の痕跡を残していれば請求側が負ける可能性が高いです。日本の不使用取消審判制度では商標権者側が使用の有無を立証する必要がありますが、タイではその逆で請求人が不使用を証明しなければならない点が大きな違いです。したがって、タイで競合他社の休眠商標を取り消したい場合、日本よりも慎重な証拠収集と立証戦略が求められます。

もっとも、不使用取消しが認められるハードルは高いとはいえ、商標を永続的に使用しないで放置しているとリスクがあることに変わりはありません。特にブランド戦略上重要な商標は、登録後も適切に使用を継続し、市場でのプレゼンスを示しておくことが重要です。タイ法では3年という期間が一応の目安となっていますので、出願から登録される頃には実際に使用を開始し、登録後も3年以上空白期間を作らないようにするのが望ましいでしょう。仮に一時的に使用を中断する場合でも、例えば製品改良や在庫調整など正当な事情があれば考慮される余地があります(「特殊事情」による不使用の正当化)。ただし立証責任の問題から、特殊事情があっても最終的には裁判所で判断されるため、安全策としては長期の未使用状態を避けることです。

使用の範囲: ここでいう「使用」とは、タイ国内において、登録商標を付した商品を実際に販売・流通させる、または役務に提供する行為を指します。ライセンス契約に基づき被許諾者が行う使用も、商標権者の使用と認められます(ただしライセンスが適法に登録されている場合に限る点に注意が必要です)。また登録商標と社会通念上同一と認められる範囲での使用(例えば字体やカラーの変更程度)は使用とカウントされますが、登録商標とかけ離れた態様での使用は認められません。この点は日本と同様の考え方です。

取消し手続: 不使用取消し(登録の取消し)の請求は商標委員会に対して行います。請求には所定の申立書を提出し、取消事由を裏付ける証拠を添付します。商標委員会の決定に不服な場合、知財・国際取引裁判所に90日以内に上訴(提訴)することができます。裁判所の判断でもなお不服なら最高裁に上告可能です。取消しの手続スキームは日本の審判・訴訟と類似していますが、前述の通り立証責任配分など制度運用がかなり異なります。なお、商標権者が自発的に権利放棄(商標登録の抹消)を申請することも可能で、その場合ライセンス契約が存在していれば被許諾者の同意が必要です。

外国出願人に特有の要件(現地代理人の必要性など)

タイで外国企業・個人が商標出願や権利維持を行う際の注意点・要件には次のようなものがあります。

  • 現地代理人(弁理士・弁護士)の必要性: 外国在住者がタイに商標出願する場合、タイ国内の代理人を選任することが事実上必須です。出願手続はタイ語で行われ、DIPとのやり取りも全てタイ語で通知されるため、現地の弁理士等に依頼するのが一般的です。代理人には委任状(Power of Attorney)を発行しますが、署名した委任状を各国の公証人により認証して添付する必要があります。公証認証以外の特別な認証(領事認証等)は原則不要で、公証された委任状1通で複数件の出願に共通利用可能です。日本企業の場合、会社代表者印などの押印と公証人による署名認証を経た委任状をPDF送付し、現地代理人がタイ語翻訳の上提出する流れが一般的です。

  • 申請人情報・書類: 出願願書には申請人の氏名(名称)、住所、国籍等を記載します。法人の場合でも特段会社登記事項証明書の提出などは求められず、基本的に申告事項で足ります(ただし稀に登録段階で追加資料を求められることもあります)。商標見本(図形等)は指定サイズに合わせて提出し、カラー商標として出願する場合は色のパン톤番号等を記載します。外国語文字を含む商標は発音や意味を願書に記載する必要があります。例えば日本語や英語の単語を商標に含むときは、その読み方と翻訳を明示します。これは審査官がその語句の辞書的意味を理解し、記述的かどうか判断するために重要です。

  • 現地連絡先: 外国出願人にはタイ国内の送達先住所が要求されますが、通常は代理人の住所でこれを満たします。DIPからの通知書類は代理人宛に送付されます。マドリッド経由で出願した場合でも、拒絶応答などでは最終的に現地代理人を選任する必要が出てきますので、現地連絡人の確保は不可欠です。

  • 費用と通貨: タイの商標手数料はバーツ建てで、前述のように商品項目数に応じた体系になっています。外国人には基本的に二重価格制度等はなく、タイ人と同額です。代理人費用は代理人ごとに異なりますが、日本に比べると廉価な場合が多いです。出願から登録完了までの総コストは、1クラスあたり数万~十数万円程度が目安です。

  • その他特有の制度: タイでは**商標使用証明書(商標権に基づく営業許可証)**の取得が義務付けられるような制度はありません。ただ、先述のようにライセンス契約は登録が必要である点や、商標権を担保に供する場合は商業担保取引法に基づき事業開発局への登録が必要な点など、権利行使・活用の局面で外国企業が留意すべき事項があります。また、タイの国別ドメイン「.th」や「.泰」ドメイン名は、タイ国内企業またはタイ商標権保有者にしか登録が認められていません。そのため、タイ市場向けにウェブサイト展開を考えている日本企業は、商標登録を取得しておくことでドメイン名の登録資格を得るメリットもあります。

以上、タイの商標制度について、日本の制度との相違点に触れながら解説しました。タイは法制度上は日本と似た部分も多いものの、運用面で独自の慣行があります。日本企業がタイで商標戦略を立てる際は、現地の専門家と連携しつつ、今回述べたポイント(出願~登録手続の流れ、登録要件、審査基準、権利の存続期間、非使用取消しリスク、ライセンス登録義務、国際出願の活用等)を踏まえて準備することが重要です。適切な知財保護により、タイ市場におけるブランドの維持・発展につなげてください。

参考文献・情報源: タイ商標法(Trademark Act B.E.2534 (1991)及び同改正法)、JETROタイ知財制度解説、タイ知的財産局資料、ならびに各種実務解説等。各引用箇所のリンク先も適宜ご参照ください。