コンテンツまでスキップ

インドの商標制度概要

インドの商標制度について、制度概要から出願、審査、登録、更新、異議申立て、取消、侵害対応に加え、日本制度との比較や実務上の留意点も含めて整理しました。

1. 制度概要(商標の定義・保護対象・法的根拠)

インドの商標制度は、1999年商標法(The Trade Marks Act, 1999)およびその施行規則である2017年商標規則に基づいて運用されています。商標行政はインド知的財産庁(CGPDTM)が所管し、商標登録や保護、不正使用の防止を行っています。インドはパリ条約(1998年加入)、WTO/TRIPS協定加盟国であり、2013年にマドリッド協定議定書(国際商標出願制度)にも加盟しています。

商標の定義と保護対象: インド商標法上、「商標」とは「グラフィック(図形)的に表示でき、他人の商品または役務と区別できる標章」を意味します。具体的には、文字、名称、ラベル、図形、数字、記号、商品の形状、包装、色彩の組み合わせなど、これらの組み合わせやそれらに準ずる標章が商標として登録可能です。さらにインドはサービス標章(役務商標)も保護対象とし、1999年法から商品だけでなく役務にも商標権を認めています。近年の改正により音商標も明文で登録可能となり、理論上は色彩のみの商標立体商標位置商標、ホログラム、そして香り・味なども図形的表現が可能であれば商標として保護しうると解されています。また、インドには団体商標証明商標の制度もあり、それぞれ団体や認証機関が使用する商標の登録を認めています。

2. 出願手続(出願人資格、必要書類、分類、電子出願など)

  • 出願人資格と管轄庁: インドでは、自己の商標を使用している者、または使用しようとする意思のある者であれば、誰でも商標出願できます(個人・法人いずれも可)。外国居住者による出願も可能ですが、その場合はインド国内の代理人(弁理士等)を選任し、代理人の所在に応じた管轄の商標登録局へ出願することになります。インドの商標登録局はムンバイ、デリー、チェンナイ、コルカタ、アーメダバードの全国5か所に設置されており、出願人(または代理人)の住所によって担当官庁が決まります。

  • 出願言語: 出願に使用できる言語は英語またはヒンディー語です。出願書類や書式は二言語で提供されており、外国企業は通常英語で手続きを行います。出願する商標に英語・ヒンディー以外の言語(例えば日本語など)の文字が含まれる場合、その翻訳または音訳(ローマ字表記)を英語で提出する必要があります。

  • 必要書類・情報: 商標出願には所定の願書(フォーム TM-A 等)を提出します。願書には商標の正確な表示(図版や文字など)出願人の氏名・住所(法人の場合は名称・所在地と法人形態)、指定商品・役務およびそれらの国際分類(ニース分類45類)の記載が必要です。さらに、パリ条約に基づく優先権を主張する場合は優先権書類の提出(英語訳付)も求められます。インド特有の要件として、インド国内での使用状況の申告があります。すなわち、出願時にその商標を既にインドで使用しているか、あるいは今後使用予定かを明示し、既に使用中であれば初回使用年月日を特定して申告します。実際に使用している場合、使用実績の宣誓書(Affidavit)や証拠資料(例えばインボイス=請求書や販売実績を示す書類)を出願時に添付することが求められます。一方、まだ使用していない場合は「使用意思に基づく出願」として、将来使用予定である旨を表明します。出願書類にはこの他、代理人経由で出願する際の委任状(Power of Attorney)や、商標が図形の場合は画像ファイルの添付などが必要です。

  • 国際分類と区分: インドはニース分類に従った商品・サービス区分を採用しており、全45類が設定されています。一出願で複数区分(クラス)を指定すること(多区分出願)が可能です。これは日本と同様ですが、インドではさらにシリーズ商標(類似した複数の商標を1件の出願で一括登録する制度)の登録も認められています。例えば色違いやごく一部表記の異なる類似商標を“シリーズ”としてまとめて出願・登録することができます(日本にはシリーズ商標制度はありません)。また、インド商標法には連合商標(類似商標同士を関連付けて管理する制度)も規定されています。

  • 出願方法と電子出願: 商標出願はオンライン電子出願または書面提出により行います。現在、インド知的財産庁は包括的電子出願システムを整備しており、出願人はウェブ上でフォーム入力・電子送信が可能です(支払いもオンライン決済対応)。電子出願の普及により、迅速かつ効率的な手続が推奨されています。また、従来型の紙による出願も各管轄オフィスで受理されますが、オンライン出願の場合は官費が若干割安になる措置があります(電子出願奨励策)。さらにインドは前述の通りマドリッド協定議定書に加盟しているため、日本など他国での基礎出願・登録に基づき国際商標出願(マドプロ出願)でインドを指定することも可能です。マドプロ経由の出願もインド国内出願と同様に審査されるため、結果として現地での実体審査・公告・異議申立ての手続を経る点は直接出願と変わりません(詳細は後述)。

3. 審査・登録プロセス(方式審査・実体審査、公開、登録)

審査の流れ: 出願後、まず方式審査(形式審査)が行われます。方式審査では、願書の記載事項や提出書類に不備がないか、所定の手数料が支払われているか、指定商品・役務の区分や表記が適切か(ニース分類への適合等)といった形式要件がチェックされます。方式面に問題がなければ、次に実体審査へと進みます。実体審査では、出願商標がインド商標法の絶対的登録要件および相対的登録要件を満たすかが審査されます。絶対的要件とは、商標が識別力を有していること(他人の商品・役務と区別できること)、記述的すぎたり慣用的な名称ではないこと、法律で登録禁止とされる標章(例えば公序良俗に反する標章や国旗・勲章などの使用禁止標章)に該当しないこと等です。相対的要件としては、既存の他人の登録商標と同一または混同のおそれがあるほど類似していないか、他人の著名商標と紛らわしくないか、といった点が審査されます。これらの実体審査(調査)は、インド商標登録局本局のあるムンバイで集中して行われ、審査官が先行商標データベースとの照合等を行います。

審査結果と応答: 審査の結果、登録要件に問題がないと判断されれば、その商標は「被受理(Accepted)」となります。一方、拒絶理由や条件がある場合、審査官は審査報告書(First Examination Report)を発行して出願人に通知します。報告書に指摘がある場合、出願人は通常1か月以内(通知受領後から)に意見書や補正書を提出して応答しなければなりません(正当な理由があれば期間延長申請も可能です)。意見書では、拒絶理由に対する反論や補正(商品区分の限定、商標の権利不要求部分の明示など)を行います。それでも審査官が懸念を持つ場合、審査官との面接(ヒアリング)の機会が与えられます。ヒアリングは審査官に直接口頭で主張を説明する場で、ビデオ会議による遠隔開催も活用されています。審査官が最終的に納得すれば出願は登録査定(acceptance)となり、次の公告手続に進みます。逆に審査で拒絶となった場合、出願人は不服申立てとして高等裁判所に審決取消訴訟を提起することができます(※インドでは日本のような審判制度は廃止されており、後述の通り現在は審査段階の不服申立ては司法救済となっています)。

公開(公告): 登録査定となった商標は、直ちに商標公報(Trade Marks Journal)に掲載され、一般に公開されます。インドの商標公報は電子官報であり、インド知的財産庁の公式サイト上で週次(通常毎週月曜)に発行されます。公報には商標の図案、指定商品・役務、出願人情報などが掲載され、第三者が内容を確認できるようになっています。公開の目的は異議申立ての機会を保証することにあります。

異議申立て期間: 商標公報に掲載された出願に対し、何人も公告日から4か月以内であれば異議申立てを行うことができます。この4か月の異議申立期間内に異議が申し立てられなかった場合、当該商標は登録への手続きを進めます。一方、期間内に異議申立てがあった場合、登録手続は一時中断され、まず異議の審理・決着が優先されます(異議申立て手続の詳細は後述の「異議申立て・取消制度」の章で説明します)。

登録(設定登録): 異議申立期間が経過しても異議が出されなかった案件、あるいは異議申立てが最終的に却下・解決した案件については、商標登録が認められます。登録料(登録手数料)の納付が完了すると、商標は登録原簿に記録され、登録証(Registration Certificate)が発行されます。インドでは近年、登録証は電子的に発行・ダウンロード可能となっており、電子署名付きPDFで交付されます。商標権の効力は登録日に発生し、その存続期間は出願日から起算して10年間です。全ての審査・登録プロセス(異議申立てがない場合)に要する期間は、平均で約2~3年(24~36か月)程度とされています。ただし審査の迅速化施策により近年は一定程度短縮傾向にあり、また後述の早期審査制度を利用すれば更に期間を短縮することも可能です。

4. 登録後の手続(更新、登録維持、記録変更)

  • 存続期間と更新: インドの商標権の存続期間は出願日から10年間と定められています(例えば2025年1月1日出願・登録の場合、2034年1月1日まで有効)。商標権者は存続期間満了前に更新申請(Renewal)を行うことで、登録を維持できます。更新により延長される期間も10年で、以後も10年毎に半永久的に更新が可能です。更新手続は有効期間満了前年から受付が開始され、遅くとも満了日までに所定の更新料を納付する必要があります。万一、更新期限までに更新できなかった場合でも、満了後6か月間は追加料金を支払って更新手続を行う猶予期間(グレースピリオド)が与えられます。この期間内に更新しないと商標は登録原簿から抹消され権利失効しますが、さらにインドでは失効後も最大6か月〜1年以内であれば特別な救済措置として**登録復活(Restoration)**申請が可能です。具体的には、抹消から6か月を経過すると「復活(Restoration)」の申立てが必要となり、所定の追加料金と手続により商標を回復できます。このようにインドでは日本より長い猶予・復活期間が認められており、うっかり更新漏れした場合の救済余地があります(日本では満了後6か月以内の徒過更新のみで、これを過ぎると権利復活はできません)。

  • 使用義務と不使用取消: インドでは商標登録後に継続的な使用義務が課されます。もっとも、更新時に使用証拠の提出などは要求されません(更新手続において実際に使用しているか否かは審査されない)ため、未使用でも形式上は更新可能です。しかし、登録から5年間全く使用していない商標は第三者から不使用取消し(取消登録)の申立てを受けるリスクがあります。インド商標法第47条に基づき、登録商標が登録日から5年経過後(実際には登録日から5年経過+3か月を経た時点)までにインド国内で善意に使用されていない場合、利害関係人はその商標の登録取消しを求めることができます。この期間算定は日本の「3年不使用取消し」と比べ長めであり、インド進出企業は登録後なるべく早期に商標の使用実績を作ることが重要です。また、悪意のない一時的不使用に正当理由がある場合などは権利者側で抗弁(例えば輸入規制等で使用できなかった事情の証明)も可能です。なお、インドでは商標の使用によって権利が維持されるという考え方が強く、実際の使用実績が権利行使時に重視される点にも留意が必要です。

  • 登録内容の変更記録: 商標登録後に権利者の名義や住所に変更が生じた場合、また商標権を譲渡した場合には、登録原簿の名義書換(記録変更)を申請することが推奨されます。インド商標法は商標の自由な譲渡・移転を認めており、登録商標(および出願中の商標)を譲渡(Assignment)することが可能です。譲渡は権利の全部または一部について行うことができ(指定商品の一部のみの譲渡も可)、商標に蓄積した営業上の信用(グッドウィル)ごと移転する方法と、グッドウィルなしで権利のみ移転する方法(いわゆる裸譲渡)も認められます。譲渡が行われた場合、譲受人は所定の様式(フォーム TM-P 等)で商標登録局に申請し、登録名義人の変更を記録してもらう必要があります。記録変更を怠っても譲渡自体の効力には影響しませんが、第三者に対する対抗要件の観点から速やかな登録簿記載が望まれます。また、インドでは使用許諾(ライセンス)制度も整備されており、商標権者は他者に商標の使用を許可できます。その際、任意で登録ユーザー制度(Registered User)に基づきライセンス契約の内容を商標登録局に登録することも可能です。登録ユーザーとして記録されれば、使用許諾による使用実績が商標権者自身の使用とみなされるなどの法律上の効果があります。さらに、商標権の質入れ(担保設定)や信託など特殊な処分も認められていますが、これらの場合も必要に応じて登録簿への記録変更手続が求められます。いずれにせよ、権利の現況を登録簿に反映させておくことが権利行使の上で重要です。

5. 異議申立て・取消制度(異議申立期間、取消理由、審理機関)

  • 異議申立て制度: 上述の通り、インドでは商標掲載公報発行から4か月間は異議申立て(Opposition)期間となっています。利害を有する第三者(競合他社など)はこの期間内に所定の異議申立書(Notice of Opposition)を提出することで、出願商標に対する登録阻止手続を開始できます。異議申立てが提起されると、まず商標登録局がその通知を書面で出願人(商標の出願人)に送達します。出願人は通知受領後2か月以内に異議申立てに対する答弁書(カウンターステートメント)を提出しなければなりません。もしこの期限内に答弁しないと、出願は放棄(abandoned)と見なされ却下されてしまいます。

    出願人が反論(答弁書)を提出すると、その副本が異議申立人に送付されます。その後、証拠提出手続に入ります。まず異議申立人(申立側)が自己の主張を裏付ける証拠(宣誓供述書および証拠書類)を提出し、次に出願人(被申立側)が反証となる証拠を提出します。異議申立人は出願人の証拠に対する反駁証拠を提出する機会も与えられます。全ての書面・証拠の提出が終わると、商標登録局にて口頭審理(ヒアリング)が行われます。ヒアリングでは双方が審判官(Hearing Officer)の前で主張立証を行い、その後、審判官が異議申立の当否について判断します。異議申立てが認容された場合、その商標出願は拒絶され登録されません。異議が棄却(または取り下げ)されれば、出願は晴れて登録査定となり、登録手続が再開されます。異議手続は商標登録局内の準司法的手続であり、審理には数年を要することもあります。インドでは異議件数も多く、近年その長期化が問題視されており、審理の迅速化が課題となっています(5~10年決着にかかる例もあります)。

    異議申立の主な理由(根拠)としては、「商標が記述的で識別力に欠ける」「商品・役務の普通名称である」「既に同一・類似の商標が出願人とは別の者により使用・出願されている」「出願が不正の意図でなされた」「出願商標が周知商標と紛らわしい」等、登録要件を満たさない事情全般が主張できます。特にインドでは先使用権者(早くからその商標を使用している者)が存在する場合、たとえ先に出願された商標であっても異議で後願を阻止できる場合があります。また、著名商標所有者が、自他商品混同のおそれや希釈化の懸念を理由に異議を申し立てるケースも典型例です。

    異議申立てに対する判断への不服は、かつては知的財産上訴委員会(IPAB)に上訴する仕組みでしたが、2021年の法改正(裁判所改革法)によりIPABが廃止されたため、現在は各州の高等裁判所(High Court)が異議申立て決定に対する上訴審を担います。例えばデリー管轄の商標であればデリー高等裁判所に、ムンバイ管轄であればボンベイ高等裁判所に、それぞれ異議決定取消しの訴えを提起することになります。高裁の判断にも不服があれば、更に上級の控訴審(当該高裁内の二人合議部)へ上訴可能です。

  • 登録後の取消・無効制度: 登録査定後であっても、商標登録が確定した後でも、特定の事由がある場合にはその登録を無効または取消す制度(いわゆる登録の争い)が設けられています。インド商標法では、これを登録の改正・抹消(Rectification)と呼び、利害関係人は登録商標に対し改訂審判を請求することができます。主要な取消・無効理由は以下のとおりです。

    • 登録不当・瑕疵: 商標が本来登録すべきでないものであったにもかかわらず登録されている場合(例えば識別力がない、禁止標章だった、他人の先 quyền を侵害する状態で登録された等)や、登録手続に瑕疵があった場合。

    • 不使用: 前述した5年間の不使用に該当する場合。

    • 不正取得: 出願時に商標を使用する誠実な意図がなかった(商標の投機的出願など)場合や、不正の目的で登録を受けた場合。

    • 登録条件違反: 登録に際して付された条件・制限に違反した場合(例えば特定の用途に限定して登録されたのに守っていない等)。

    • 権利濫用等: 登録商標が他の法(例えば著作権法や企業名保護法)に抵触する場合や、既存の未登録周知商標の使用者に対して不正競争となる場合など。

    このような取消・無効を求める手続は、日本の審判制度に相当するものですが、インドでは行政審判ではなく司法手続に近い形で行われます。利害関係人(取消請求人)は、まず商標登録局に対して所定の申立書(Form TM-O)を提出するか、直接管轄高等裁判所に訴訟提起することができます。どちらを選択するかは事案や戦略によりますが、IPAB廃止後は高等裁判所が主要な争訟の場となりました。もっとも、登録局(審査官)に対する抹消請求も依然可能であり、その場合の手続流れは概ね異議申立て手続と同様です。すなわち、請求人の申立書に対し登録局が商標権者に副本送達し、2~3か月以内に権利者が答弁書を提出、以降は双方の証拠提出と口頭審理を経て決定が下されます。登録局による取消・無効の判断に不服がある場合は、その判断を所管する高等裁判所に上訴(取消し訴訟)できます。一方、初めから高等裁判所で無効確認訴訟を提起する道もあり、その場合は裁判所において証拠提出・審理が行われます。なお、どの高等裁判所に提起できるかは、商標の登録管轄に紐づいており、ムンバイ登録ならボンベイ高裁、デリー登録ならデリー高裁、といったように法律上定められています(近年、この高裁管轄の解釈を巡る判断も示されています)。このようにインドの取消・無効制度は日本のJPO審判とは異なり、裁判所中心の手続となっている点に注意が必要です。

6. 権利行使(侵害対応、民事救済、刑事罰など)

  • 商標権侵害の概念: インドにおける商標権侵害(Trademark Infringement)は、登録商標と同一もしくは紛らわしい商標を、登録商標の指定商品・役務と同一もしくは類似の範囲で、権利者の許諾なく使用する行為を指します。これは日本とほぼ同様の定義です。また、インド法では登録商標が著名な場合には非類似の商品・役務についての第三者使用も不正競争行為・希釈化として差止めの対象となり得ます。さらに、登録の有無に関わらず、他人の商品や営業表示を不正に利用し混同を生じさせる行為はパッシングオフ(Passing Off)と呼ばれる不法行為となり、後述のように民事救済を求めることが可能です。

  • 民事上の救済措置: 商標権者は、侵害行為者に対して民事訴訟を提起し、裁判所から救済を得ることができます。インドでは商標侵害訴訟は主に各州の地方裁判所(District Court)が第一審管轄となりますが、デリー、ボンベイ(ムンバイ)、マドラス(チェンナイ)等一部の高等裁判所は高裁自ら第一審管轄を有する場合もあります。訴訟では、差止命令(仮処分による暫定的差止めおよび恒久的差止命令)を求めることができ、侵害品の製造・販売の即時停止や差押を請求します。裁判所は原告による申立てに基づき、被告への事前通知なしに職権による暫定差止め(エクスパーテの仮命令)を発令することも可能で、権利者は迅速な保全措置を図ることができます。本案訴訟において勝訴すれば、最終的な恒久差止命令に加え、損害賠償もしくは侵害者の利益の帳簿開示・収益移転(アカウント・オブ・プロフィッツ)が命じられる場合があります。さらに、侵害品やその包装・ラベルなどに付された商標の廃棄命令も裁判所により発せられます。これらの救済は日本の民事訴訟で認められる範囲(差止め・損害賠償等)と概ね共通しています。また、インドの民事裁判実務では和解や調停が行われることも多く、当事者間で損害賠償額や今後の使用条件について合意し和解によって訴訟を終結させるケースも見られます。なお、未登録商標であっても、上述のパッシングオフの訴えにより、他人による不正使用の差止めや損害賠償を請求することが可能です。パッシングオフ訴訟では原告商標の周知性や信用が立証要件となりますが、インドは伝統的にコモンローの概念を受け継いでおり、未登録でも使用による権利保護が図られる点は日本との相違点です。

  • 刑事罰による取締り: インド商標法には刑事罰に関する規定もあり、悪質な商標権侵害や模倣品の製造販売は犯罪として取り扱われます。具体的には、登録商標と同一もしくは著しく類似の商標を無断で商品やサービスに表示したり、他人の商標を偽って商品を販売したりする行為は商標偽造罪等に該当します。これらの行為に対する刑事罰は厳しく、初犯であっても6か月以上3年以下の懲役刑に処され得ます。併科される罰金も5万ルピー以上20万ルピー以下(約9万円~36万円相当)の範囲で裁判所が定めます。再犯の場合は上限がさらに引き上げられ、一層重い刑が科されます。また、登録商標でないのに登録商標であると偽って表示する行為(未登録商標の不正表示)も違法であり、こちらは**3年以下の懲役または罰金(またはその両方)の刑罰規定があります。実際の執行にあたっては、権利者が警察当局に告訴し摘発してもらう形になります。商標権者は捜索令状を取得したうえで警察の協力を仰ぎ、倉庫や店舗へのレイド(立入捜査)**を実施して模倣品を押収・販売差止めすることが可能です。これは日本の刑事手続(警察による商標法違反の検挙)と似ています。インドでは特に悪質な偽物(counterfeit)対策として刑事手段が活用されるケースも多く、刑事訴追が抑止力となっています。

  • 税関での水際措置: 付言すると、インドには知的財産権の国境措置(Border Measures)も存在します。商標権者は税関当局に対し自己の登録商標と侵害物品情報を事前登録しておくことで、輸入段階で模倣品を差し止めることができます。税関登録をすると、疑わしい輸入貨物を発見した税関が職権で当該貨物を留保し、権利者に通知する仕組みです。ただしこれら税関措置はユーザー要求には含まれていないため詳細説明は割愛します。

7. 日本の商標制度との比較(相違点、実務上の注意点)

インドの商標制度は日本と共通点も多い一方、法制度や運用面で以下のような重要な相違点があります。日本企業がインドで商標出願・権利行使を行う際の実務上の注意点も併せて整理します。

  • 先願主義 vs 先使用主義: 日本は厳格な先願主義(早い者勝ちの登録主義)を採用しており、原則として最先に出願した者が登録を受けます。一方、インドは先願主義と先使用主義が併存する特徴的な制度です。つまり、法律上は先に出願した者が優先されますが、同一・類似の商標について先に使用を開始していた者(先使用者)には明文で保護が与えられており、場合によっては後から出願してもその先使用者が登録を得られる余地があります。例えば、他社より先にインド市場で使用を開始していた商標であれば、仮に相手が先に出願していても異議申立てや取消審判で先使用を主張することで相手の登録を無効化できる可能性があります。またインド商標法34条では、登録商標に対しても、その登録より先に善意で使用を開始していた者の継続使用は侵害とならない旨が規定されています(いわゆる先使用権)。日本でも商標法に「先使用権」の規定はありますが、それは登録前の先使用者に対しその従前の範囲で使用を継続できる権利を与えるもの(商標法第32条)であり、先使用者が相手の登録自体を無効にしたり自己が登録を取得したりすることまでは認めていません。したがってインドでは使用による未登録の権利が日本以上に重視される点に注意が必要です。インドにおいて日本企業が商標を出願する際は、現地で同業他社等がすでにその商標(または類似商標)を使用していないか事前調査し、先使用者がいる場合は安易に現地でブランド展開を始めない、もしくは相手との合意(同意書取得)や現地での早期使用開始による対抗策を検討することが肝要です。逆に、自社がインドで先行して使用している商標がある場合、競合他社に先願出願されないよう早めに出願すること、万一先に出願された場合でも自社の使用実績(特に売上や請求書類)を証拠化しておくことで異議申立て等で権利を守れるよう備えることが重要です。

  • 出願時の使用宣誓の有無: 日本では商標出願に際し、その商標を既に使用しているかどうかの申告義務はなく、将来的に使用する意思があれば出願できます(使用証明も不要)。これに対しインドでは出願時に「使用中」か「未使用(使用予定)」かを宣言する必要があります。既に使用中であれば最先使用日を具体的に記載し、使用証拠を提出する義務があります。この違いにより、インド出願では実態に即して戦略を選ぶ必要があります。例えば競合する商標が存在する場合、「使用に基づく出願(使用事実あり)」を選択して十分な証拠を添付する方が審査や異議で有利とされます。日本企業はインドで商標使用を開始したら速やかにその実績を押さえ、可能であれば使用開始後に出願する(あるいは使用開始を待って異議に備える)といった判断も求められます。逆に未使用で出願する場合でも、競合他社に先使用者がいないかを十分調査してから臨むことが望ましいでしょう。

  • 公開・異議申立てのタイミング: インドの異議申立ては登録前(出願公告後)に行われる前置異議制度です。公告から4か月の間に異議がなければ登録となるため、一見すると権利化がスムーズに見えますが、異議が入るとその処理が完了するまで登録が保留され長期化する恐れがあります。一方、日本では商標登録後に公告・異議申立てを行う後置異議制度(登録公報発行後2か月以内)を採用しています。日本では審査にパスすれば一旦登録証が発行され権利が発生しますが、その後に異議が認められると権利が取り消されることになります(2015年の法改正で現行制度に移行)。この違いから、インドでは登録前の段階で異議リスクに対処する必要があります。現地で問題となりそうな先行商標があれば、出願段階から同意書を取得する、あるいは出願公告後に異議を受けた場合の和解交渉など、権利化前から異議対応戦略が求められます。逆に日本では登録後に異議申し立て期間がありますので、権利取得後も2ヶ月間は不確実性が残りますが、インドに比べれば異議期間は短く、異議件数も相対的に少ない傾向です。なお、インドでは異議申立てが好まれる背景として「当局の審査をあまり信用せず、自らの権利は自ら守る」という企業意識が指摘されています。日本企業も、自社商標を出願公告した際には競合から異議が来る可能性を念頭に置き、また他社の公告に対して自社権利を守るため積極的に異議申立てを検討する姿勢が必要です。

  • 無効・取消審判の管轄: 日本では商標登録後の無効審判・取消審判は特許庁の審判部が管轄し、その審決に不服なら知的財産高等裁判所へ訴えるという行政審判中心の制度です。一方インドでは、上述の通り登録後の取消・無効の争いは知的財産庁ではなく裁判所(高等裁判所)が審理するのが原則となっています。以前はインドにもIPABという専門審判機関がありましたが廃止され、現在は各地の高等裁判所が直接商標の取消・無効を判断しています。そのため、インドで他社商標の無効を求めるには、最初から裁判所に訴訟を提起するケースが多く、これは日本より手続が煩雑で費用も高額になる傾向があります。また、日本の無効審判は誰でも請求可能ですが、インドの取消請求(Revocation/Rectification)は「利害関係人」でなければ提起できないという要件があります。従って、実務上は市場で実際に競合する企業同士の争いに限定されることが多く、権利に無関係な第三者が嫌がらせ的に無効を仕掛ける可能性は低いです(ここも日本との違いです)。日本企業としては、自社商標が不使用にならないよう注意することはもちろん、万一他社に不正に登録された場合には高裁レベルでの争訟も辞さない構えと、それ相応の証拠と法的主張の準備が必要となります。

  • 不使用取消し期間の違い: 上述のように、商標の不使用取消しが請求されるまでの不使用継続期間が、日本では3年、インドでは5年(+3か月)と異なります。日本企業にとっては、インドでは登録後比較的長く未使用でも権利を維持できますが、逆に競合他社の休眠商標を排除したい場合には5年以上待たねばならず、迅速な整理が難しいとも言えます。戦略として、現地で使う予定のない商標を防御的に多数登録しておいても5年経過後には取り消され得るため、不要な権利を抱えすぎないことや、逆に他社が権利を塩漬けしている場合は長期戦を視野に入れるなど、運用面での計画性が求められます。

  • 権利行使の場: 日本では商標権侵害訴訟は各地方裁判所(東京・大阪に集約)で扱われ、知的財産に特化した部(知財高裁含む)が審理します。インドには知的財産専門の裁判所はありませんが、デリー高裁など一部にIP専門部が設置されつつあります。また、インドの侵害訴訟では提起前に調停を義務付ける制度やオンラインでの審理手続などが導入され、近年手続のIT化・迅速化が図られています。日本企業がインドで侵害訴訟を行う場合、裁判所の違いや手続に精通した現地弁護士との連携が不可欠です。特にインドの裁判は審理が長引くことも多いため、早期の仮処分取得や和解交渉など柔軟な戦略が重要になります。

  • 周知・著名商標制度: 日本では著名商標は法律上直接の定義はなく、周知・著名性は個別のケースで判断されますが、インドでは2017年から周知商標の登録制度が設けられています。商標権者は商標局に申請し、自社商標を公式に周知商標(Well-Known Trademark)として認定・リスト掲載してもらうことが可能です。一旦周知商標として登録されれば、非類似商品・役務にまで他人の類似商標出願を拒絶できる強力な保護が与えられます(※ただし拒絶のためには権利者が異議を申し立てる必要があります)。日本にはこのような公的な著名商標リスト制度はありません(商標審査や審判の中で著名と認定されることはありますが、事前登録制度はない)。したがって、国際的に有名なブランドを有する企業は、インドで周知商標登録を検討する価値があります。一方、日本企業が他人の周知商標と知らずに類似商標を出願してしまうと、インドでは登録前に拒絶・異議の対象となり得ますので注意が必要です。

  • 細かな制度の違い: その他、インドには旧英米法由来の独自制度がいくつか存在します。例えば同意書制度(先行商標権者の同意があれば類似商標でも登録可能とする制度)、ディスクレーム(権利不要求)制度(商標中の識別力のない部分について権利主張しない旨を明記する)、誠実な同時使用の主張(複数の類似商標が誠実に同時に使用されてきた場合に共存を認める)などがあります。日本でも類似商標の存在に対する同意書提出は近年一部認められるようになりましたが、インドではより一般的に活用されています。さらにインド法には連合商標の概念(登録商標同士を関連付けて譲渡制限をかける制度)が残存しており、かつて存在した防護商標(著名商標を他類似で防御的に保護する制度)は廃止されたものの名残があります。これら制度は特殊で細則の理解が必要なため、現地代理人の助言を受けながら対応すると良いでしょう。

以上のように、インドの商標制度は基本的な枠組みは日本と共通するものの、「使用の重み」が大きいことや審理機関・手続の違いなど、随所に実務上の留意点があります。インドでの商標出願・権利化にあたっては、現地法制度に則した戦略を立て、日本の感覚とは異なる部分(先使用の主張や異議対応、未使用取消リスク等)に備えることが成功のポイントとなります。また信頼できる現地の商標代理人と協働し、適切な情報収集と権利保護アクションをとることが肝要です。国情や商取引慣習の違いもありますが、近年インド知的財産庁は電子化や審査期間短縮など改善を進めています。日本企業もこれら制度を正しく理解し、有効に活用することでインド市場におけるブランド戦略を円滑に進めることができるでしょう。

Sources:

  • インド知的財産庁(CGPDTM)公式サイトほか

  • インド商標法(1999年法)・商標規則(2017年改正)ほか

  • 世界知的所有権機関(WIPO)・JETRO資料ほか

  • 現地法律事務所の解説(Mirandah Asia、HARAKENZO他)ほか